小津安二郎『秋刀魚の味』(1961)など

 先月は毎週のように病院に行っていたので、なんとなく落ち着かず文章を書く気にはなれなかったが、月はじめになって少し落ち着いたかんじになったので、今回は映画の番だしやってみる気持になった。ただ例により最近見たので、気に入ったのがなかったので、小津さんということにした。まだ学校にいたころには、三週に二回は小津さん(1903-1963)の戦後の映画をやっていたからたいていは覚えているつもりでいたが、四、五年もあくと、だいぶあやしくなっている。嫁入り話が多いので、わけがわからなくなるということもある。
 それで一番出来もいいと思うし、記憶もしっかりしている『秋刀魚の味』をのぞいてみたら、なんだかひどく懐かしい感じで、映画が作られた時代をのぞいて見ているような気がした。当然ながら時代を写しているから、『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『彼岸花』(1958)、『秋日和』(1958)のどれもが結婚話だとしても、結婚に必ず親の同意がいる時代、一応親の同意は必要でも比較的自由な時代、親の同意を必要としない時代と順を追うて映画化されている感じで、当然と言えば当然ながら比較的短い期間に変化が生じるので、こちらもわずかの時間の間のそうした変化を見ていると、それなりに灌漑のようなものがわいてくる。『秋刀魚の味』と『秋日和』は対の作品のようになっていて、前者は父親と娘、後者は母親と娘の親子が結婚にたどり着くまでの話だが、前者の話では娘の下に男の子がいるが、後者は子供は娘ひとりのみなので、娘は母親の将来を案じているので、母親は結婚するということにして、娘に結婚を承諾させるが、前者とて息子のほうが父親に結婚するよう促していたから、同様な面もなきにしもあらずである。なんだか現代のように、親子が離れて暮らすのが当然となっている時代と違って、当時は親子の距離がもっと近かったはずだから、それほど別居にこだわっていたのかと、今から見ればかえって奇妙な感じがする。
 父親のほうは娘に行かれてしまえばお手上げだが、母親の方は一人でもなんとかなるという見方が、ふたつの映画の一番の相違点で、一人残される父親のほうが余計寂しい感じで、「秋刀魚にがいかしょっぱいか」という感じが強まり、哀れさが増すという点で、映画の点数としては、『秋刀魚の味』のほうが上だと思うが、女性から見たらどんなものだろう。
 それにしても、家中心社会が続いていたのだから、一応個人中心社会になりはしても、そう簡単に変化が生じるわけでもないだろうから、小津さんがもう少し長生きしていれば、そこら辺りまで見られただろうなと推測する。
 授業で映画を使うようになるまでは、小津映画など眼中になく、たしか筆者が高校生の時見た映画で閉口して以来、一度も見ていなかったのはある意味道理だろう。なんだか家に帰ってくると喋られているようなセリフしかでてこないし、大した事件が起こるわけでもない。事件は心の中で起こっているわけだから、心の中で比較的おだやかに起こっている事件には、若者ならあまり心を動かされるはずもないから無理もない。
 仕事になってからは、五十歳くらいという年齢のせいもあって、こういう落ち着いた静かな映画が気に行って、まずは一応見られる映画はすべて見た。後はやはり戦後のものが優れているから、そちらに集中することになり、授業のほうももっぱら、そちらにばかり傾いてしまった。別段それが悪いとは思わないが、これからは時間があるから、まんべんなくのぞいてみようと思う。
 ただ今回ちょっとのぞいてみたところでは、小津さんを映画の神様扱いにする人も多いけれど、かならずしもそうとばかりは言っていられないぞという気になった。『麦秋』は終わりに時間をかけすぎているようだし、『晩春』の娘が父親と京都に泊まったときに言う、「お嫁に行くより、お父さんと一緒にすごしたい」といった意味の有名なセリフも、ああいうことを言う人もいるだろうけれど、なにか奇妙な不思議な感じがしたが、それで当然ではないかという気もしている。
 なにか忙しくしている時よりも、余裕の出てきた今のほうが、映画を突き放して見ているというのだろうと思う。しばらくこんな感じが続きそうである。

2011年8月初旬

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