アンリ・コルピ『かくも長き不在』(1961)

 この映画は学生の時、新宿にあった「アート・シアター・ギルド」というところで初めて見た。「アート・シアター・ギルド」は、記憶違いでなければ、たしか池袋にもあった小さな会社が経営している映画館である。何本かの映画をここで見たが、おおむね前衛的な大衆向けではない映画をやっていた。アンリ・コルピ(1921-2006)の『かくも長き不在』はその中でも最も印象深い映画のひとつである。その後この監督の映画は見ていないなと思っていたが、スイス生まれのこの人は、映画らしい映画を演出したのはこれのみで、後は著書もいくつかあるが、一番多いのは編集の仕事らしい。チャプリンの『ニューヨークの王様』の編集もしている。
 『かくも長き不在』は、脚本は作家のマルグリツト・デュラスによる、ある種の反戦映画とでも言うしかない映画である。パリの郊外でキャフェを経営しているテレーズ(アリダ・ヴァリ)は、パリ祭(革命記念日)も終わりみんながヴァカンスに出かけていくので、恋人としばらく田舎にでも帰ろうかという話をしている時に、亡くなったと思っていた夫にそっくりの浮浪者に出会う。それまでにも、いつもオペラを歌っている浮浪者がいると知っていたが、ヴァカンスで街が閑散としてきたので、始めて浮浪者の顔をきちんと見ることになる。彼女に言わせれば、まぎれもなくなつかしい夫(ジョルジュ・ウィルソン)である。
 夫は1944年に官憲につかまりナチスドイツの収容所に入れられる。仲間のイタリア人やイギリス人と一緒だったらしいということは、彼女も知っている。しかし戦後死亡通知が届き、栄誉勲章も夫に代わって受けたのだから、生きているはずはないのだが、どう見たって夫なのである。カフェの若い女性の給仕人に、「冷たいものでも、いかがですか」と言わせると、カフェにやってきたので、テレーズ自身は裏にまわり、女給仕やいあわせた客と浮浪者との世間話をきいている。男はセーヌ川のほとりに住んでいるらしいが、身分証明書はもってはいるが、もちろん夫の名前が書いてあるはずもないし、本人に言わせれば記憶喪失者だとのことである。そこまで聞いたところでテレーズは気を失いかける。相手の二人がそちらに気を使っているあいだに、男は消えてしまった。それでここらが女性らしいとおもうのだが、浮浪者の後を追い、浮浪者の小屋のそばで一夜を過ごす。夏だからできることである。翌朝男は顔を洗うと、男の宝物らしい箱を取り出して雑誌から切り抜きを始める、テレーズが姿を見せて質問すると、男の答えでは午前中はクズ屋をやってなりわいを立て、午後には商売にはならないが、雑誌の写真の切り抜きをやるのが趣味だそうである。
 テレーズは男と別れると、店に戻り、ミュージック・ボックスの曲をほとんどすべてオペラの曲に変え、夫との思い出の曲も何曲か残した。浮浪者がそばを通る時、オペラの曲の音を大きくしておけば、中に入って来るだろうと考えたのである。たくさんの雑誌も用意してある。案の定の結果となったが、テレーズはそのまえに近郊に住む叔母とおいとをよんでおいて、男が曲を聴いたり、切り抜きをしているあいだに、夫の記憶をなんとか呼び起こそうとする。どこにすんだことがあるとか、夫婦には子供が四人いたとかという話によってである。
 しかし男はほとんど興味を示さず、時間がたつといなくなってしまう。叔母などは元夫ではないという意見だった。だいたいオペラの曲をたくさん知っているのは以前になかつたことだというのである。テレーズに言わせれば一緒にいたイタリア人に習ったにちがいないという。おまけにその前に今の恋人とも別れてしまう。  そこで最後の手段で、なるだけ長居をしてくれるよう夕食に誘う。そしてその間やはりなるだけ思い出を喚起するような話をし続けるのだが、一向に効果はない。近所に暮らしている昔馴染みの四人ほどの連中も気になって仕方がないので、外へ出て中の様子をうかがっている。食事は終わるが、テレーズは何も食べていない。それどころではないわけである。それで食後の音楽ということになり、それが終わると馴染みの曲をかけテレーズはダンスに誘う。予想通りダンスはうまくいったが、その間に男の後頭部には刃物ででもつけられたかのような深い傷のあるのが判明する。記憶喪失になって当然のような傷である。
 ダンスが終わると、テレーズは男を送りだすが、男が少し離れると、近所の連中のだれかが「アンリ・ラングロワ!」と男の本名を大声でどなる。するとテレーズやほかのだれもが男の名前を合唱する。すると男は両手を上に上げしばらく立ち止まる。おそらくナチスの収容所で同じような呼びかけがなされ、恐怖から一瞬記憶がよみがえったものらしい.そのあと男は逃れるよう走り出すが、前方から大型のトラックが走ってくるのも気にしているふうではない。テレーズはひかれたと思って失神してしまうが、しばらくすると近所の男が戻ってきて、男は無事だったが、街を出てしまった。また寒くなったらもどってくるよ、と言ってテレーズをなぐさめる。
 実は筆者が学生のときに見た映画は、男が車にひかれるところで、終わっていた。だから今回の見直しで、様子が変わっているのにびっくりした。しかし、良く考えてみると、車に轢かれるという終わり方は、テレーズにとってつらいだけである。それで男の配慮で、少しはテレーズを楽にするように模様替えをしたのかもしれない。ちなみにその男はテレーズの恋人だったのかもしれないが、良く見えなかった。よく見えなくとも体勢に影響しないので、調べようとは思わなかった。

2011年6月中旬

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