W.ヴェンダース『アメリカ、家族のいる風景』(2005)など

 どうやら病気のほうは一ヶ月ほど前に決着がついたらしい。完全な決着だかどうかはまだ判明でないが、モノが一応消えたのだから、そう言うしかないだろう。しかし、繰り返しになるがこの半年ほどの治療はかなりの荒療治で原稿を書く元気があまりないが、なにもしないというのもつまらないので、少しづつなんとかしようとしている。
 今回のテーマは久しぶりに見た最近のヴェンダース(1945-)だが、どう見ても上出来とはとてもいえない。筆者より若いのにもう老化が始まったのではないかと、疑いたくなるほどである。一本は『ランド・オブ・プレンティー』(2004)で、アメリカの医療制度を取り上げているマイケル・ムーアの『シッコ』(2007)とは視点が違うが、広い意味では9.11がテーマの映画だといっていいだろう。何しろ3000人以上の犠牲者の出た9.11は両者にとって強烈なショックを誘発する事件であり、一方はそこから医療制度の不備へと進むが、もう一方はテロ問題から、親族間の愛情の問題に進むから主題はもちろん異なるが、筆者が受けた印象は、アメリカ人あるいはアメリカにきわめて近いところで生活しているドイツ人にとっての9.11ショックの想像を超えた大きさだった。9.11とは、なにしろよそからおおきな暴力を本国に直接振るわれたことのないアメリカという特殊な国のショックなんだなあという事実が、以上二本の映画を通じて始めて理解できたように思う。
 『ランド・オブ・プレンティー』は短期間で撮り上げられたらしいロード・ムービーぽい映画だが、画面はまるでアメリカ映画で、ドイツ人の作った映画とは思えない。元ベトナム戦争の士官あがりらしいのがアメリカの英雄気取りでテロリスト狩りめいたことをやっているのに、テルアビブからやってきた姪との交流を通じてきわめて非人情な雰囲気の中での人情映画に仕上げようとしているが、かなり雑な仕上げでどこが面白いのかさっぱりわからない。
 一年後の『アメリカ、家族のいる風景』も、やはり始まってしばらくはこれではアメリカ映画そのままではないかという雰囲気だったが、主人公はアメリカの西部劇の60歳くらいのスターで、独身でかなり派手な行状の持主らしいが、どうも里心でもついたらしくて、撮影所を逃げ出して30年ぶりくらいに母親に会いに出かける。どだいこんな疎遠な親子がどこにでもいるとは思えないが、どうやらこの二人にとっては当然な関係だということになっているようである。
 スターは、母親から昔ふるさと近くで撮影をしたとき恋人ができ子供までできてしまったが、帰郷して母親から話を聞くまで、子供のことは知らなかった。話に動かされて、さすがに情が湧いたのか、息子に会いにいくが、なにしろ三十年近くもたっているし、子供も父親のいることを知らなかったりで、当然両者の関係はぎくしゃくしたままである。息子は父親とまともに話しをしようなどとはしない。
 おまけに当時もうひとり恋人がいたらしくて、こちらは娘が生まれるが、スターが到着したころ娘の母親はなくなったばかりである。こちらの娘はどうしたものか、薄情なスターに父親らしい感情をもっているようだが、映画の終わりころまで告白しないままである。
 スターは撮影の契約期間中に姿を消したので、スタッフは最初から弁護士らしいのに、なんとか本人を連れ帰してもらおうと努力しているが、最初はどこにいるかもわからないのが、母親のごまかしをなんとかかいくぐって、スターが子供たちと二三度会うころには、居場所をつきとめている。仕事がら法律上無理にでもスターを連れ帰ろうとしている。映画のほうも、最後の場面近く、疎遠ながらも、子供たちとの情が打ち立てられる様に細工をしたりしているが、どうにも無理でしっかりした演出になっていない。しかし、一応はまたどこかでつながりをもてそうだという余韻を残そうとしているが、こちらとしては、まず無理だろうなという印象になってしまう。話の組み立てが苦しいから仕方がないと思いそうなものなのに、ヴェンダースは、なんとか小津流の収拾をつけたつもりでいたらしい。たいぶボケてきたとしか思えない。
 何本かの優れた映画を見せてくれた監督だったが、今後たぶん回復は無理だろう。あまり悪口をいうような映画を選びたくなかったが、他をさがすとまた時間がかかるので、これに落ち着いた。実は、最初見たとき『家族のいる風景』は、ここまでだとは思っていなかった。

2009年12月上旬

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