小栗康平の『泥の河』

 筆者の寝室にはテレビが置いてあり、ビデオも映せるようになっていて、書棚に入りきらないビデオテープなんかもテレビの台の下に積んである。今度は何にしようかなと考えていたら、目の前に小栗康平(1945-)の『泥の河』(1981)なんかが三本入ったビデオがあったので、このうちのどれかにしようと思ったが、ともかく三本とも見ることにした。『伽倻子のために』(1984)と『死の棘』(1990)も入っていた。それから『眠る男』(1996)もどこかにあるので、さがしたが見つからず。あきらめた。筆者の記憶では、三つとも優れた作品で、どれでもよさそうに思っていたが、三本一気にではないが続けてみて、『泥の河』の完成度の高さに驚いて、他の作品を取り上げる気がなくなった。おまけに他の二本はうっとうしくて、気がめいる感じなので、あまり気がすすまないということもある。もちろんどれも一所懸命に作られてはいるが、進んで取り上げる気がしないということである。
 いずれも小説の映画化で、『泥の河』も私小説っぽいものらしいが、『死の棘』を見ているうちに、なんだか奇妙な感覚に囚われた。原作は言わずと知れた島尾敏雄の作品だが、すべてがありのままに書かれているとは思えないにしても、よくも普通の感覚なら隠しておければ隠しておきたいものを、わざわざ公表するとは、ずいぶん変な習慣がついたものだという感想が沸きあがってきた。フランスの自然主義のまねをして、リアリズムにこだわり、いつのまにか私生活の暴露めいたものを発表することが、立派な作品を生むもとといった考え方が、たしか昭和の初めころから一般化し、それが相当の期間続いた。今度奇妙に思ったのは、だいぶ以前から、私小説めいたものが書かれなくなってしまったので、その分奇妙さが目立ったからだろう。なお余計なことまで書いているのは、これだけはかつて原作も読んで、優れた作品だという記憶があったからである。それと後の二作をしめっぽく感じたのは、作中人物がみんな、苦しくてつらい生活に耐えていることばかりが描きだされているからだ、と『泥の河』を見直しながら考えている。他人のことを思いやる心があふれている点で、この映画は豊かなのである。しかし、三十台の映画の処女作で、これだけのものがよく作れたと感心する。インターネットで知ったが『埋もれ木』(2005)という作品もあるようで、未見だが、これも含めて処女作は越えられていないのでは、という予感がする。
 『泥の河』の原作は宮本輝の同名の小説らしいが、あいにく作者の名前は知っていても作品はひとつも読んでいないので、原作については何もいえない。映画が始まると、時代は戦後十年の夏、つまり昭和三十一年の夏だということが、知らされる。大阪の南のほうの川の橋のたもとのうどん屋で、馬車屋がカキ氷を食べている。そういえば、そのころまで時々馬を見かけたなということを思い出した。馬車屋は十年まえからやっているうどん屋の最初からのお得意さんで、少し金がたまり、中古のトラックを買うので、馬はお払い箱で、うどん屋の一人息子に提供するとかいう頼りない約束をして、店を出て行く。子供は後について行くが、道がぬかるんでいて、鉄製品の古道具で重い馬車を引くのに馬は難渋しているうちに、反対側からきたトラックに驚いて馬があばれ、馬車屋は馬車の下敷きになって死んでしまう。
 人情たっぷりのうどん屋での会話から、非情な死という冒頭で、この映画全体が先取りされているようである。翌日うどん屋の息子が、まだ橋の上に残されていた馬車を見に行くと、見慣れぬ子供に出会う。うどん屋のななめ反対の向こう岸に舟が泊まっていて、そこに住んでいると、その子は言う。その子には十一になる姉がいて、男の子同士は小学三年生だが、舟の姉弟は学校に行っていない。母親はやがて分かるが娼婦である。普通に荷物などを運搬する舟ははしけで、こうゆう住居にしている船は宿舟というらしい。宿舟の子供たちの父親は、優秀な船頭だったらしいが嵐の時無理をさせられて、なくなったらしい。母親もまともな仕事につこうとしたこともあったらしいが、結局今の仕事に腰を落ち着けたようである。
 子供はなにも知らないから、娼婦(加賀まり子)の息子とも仲良くなるし、その姉とも仲良くなり、姉弟をうどん屋に招待する、さすがに親たち(田村高広、藤田弓子)は少し驚くが、やさしい心の持ち主なので、姉弟を招いて歓待してやる。さすがに姉は年かさだけに、一般に自分たちが世間からどう見られているかを知っているので、遠慮がちである。うどん屋の父親も実は既婚の舞鶴の住人だったが、戦後まもなく大阪に出て来た折、今の嫁さんと知り合い、そのまま居ついてうどん屋になったらしい。そうした来歴と「四十すぎてからの子はかわいい」と言う父親の息子への大あまも、このつきあいの支えになっているのかもしれない。
 ほんのわずかの間続いたこの子たちとの付き合いも、息子たちが天神祭りに行き、娼婦の息子があづかった小遣いをなくしたことをすまないと思い、謝罪の気持ちから、船端にかけてある宝物の竹箒の先のような小蟹の巣を見せたことが端緒となって破綻する。娼婦の息子はサービスのつもりだろうが、ランプの油につけた小蟹にマッチで火をつけ焼き殺し、残酷な一面を見せる、何度もやるので、うどん屋の息子は蟹をなんとか助けようと、船べりに沿うてはったため、仕切りで直接入れないようになっている売春の場所(母親の居所)まで行き、窓ガラスごしに売春をしている母親と顔を合わせてしまう。もちろん子供だから何が起こっているかはわからないはずだが、息子はこの行為と子供の残虐行為にショックを受け、自宅に逃げ帰る。ぼうぜんとしたり、涙を流したりしている息子に当然両親は、いろいろ声をかけるが、息子はほとんど返事もしない。
 翌朝、眠れなかったらしい息子に、宿舟か移動しだしたのに気づいた両親が、注意を促す、一瞬間をおいて息子は、外に飛び出して舟のあとを追う。もう追いつけないところまで追いかけた息子は、大声で友達の名を呼ぶが、ともかく宿舟からはなんの反応もない。 子供たちの演技が、とびぬけて良かった。

2008年8月下旬

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