黒澤明の映画(11)『デルス・ウザーラ』他

 前回の『赤ひげ』他で、「黒澤明の映画」を終わろうかと思ったりしていたが。今回の『デルス・ウザーラ』(1975)まで待つことにした。作品にはまだまだ続きがあって、『影武者』(1980)、『乱』(1985)、『夢』(1990)、『八月の狂詩曲』(1991)、『まあだだよ』(1993)までである。前回の『赤ひげ』のところで述べたように、黒澤さんのメイン・テーマだったヒューマニズムについては、『赤ひげ』までで十分という思いが本人にもあったようで、もうこのテーマが正面に置かれることはなくなる。もちろん部分的にはこのテーマに関係しなければ映画など作れるわけもないから、もちろん消え去るわけではない。ただ黒澤さんの興味は、より完成度の高い映画という方向を向き、「映画は美術だ」という言葉が、繰り返し言われるようになる。そして確かに、『デルス・ウザーラ』以後失敗作はひとつもない。 次の『影武者』は武田信玄の影武者の物語を通じて、戦国時代を描いた映画、『乱』はシェイクスピアの『リア王』の翻案映画、『夢』は監督の短い夢五つを集成した映画、『八月の狂詩曲』は長崎の原爆を取り扱った映画、最後の『まあだだよ』は、教師であった頃の作家の内田百閒の学生たちとの終世にわたる師弟愛の映画といった風に、もちろん黒澤明の視点から、それぞれのテーマをいかにうまく映画化するかが、もっとも重要な課題であり、「映画は美術」という約束は、見事にはたされた、と思う。
 なぜ『デルス・ウザーラ』まで書こうとしたかというと、この前に見たのは多分10年ほど以前に学生たちに見せたときが最後で、記憶をはっきりさせるためにもう一度見たいという気持ちがあったからである。それに、映画の斜陽化にともなって、黒澤さん自身にも及んでいた悪影響を、この映画で払拭したという記憶を確認しておきたかったからでもある。この映画を作るきっかけを与えたのは、黒沢映画に好意的だったソ連のモス・フィルムであり、資金のことは心配せずに撮影できたようだし、監督1名スタッフ2名プロデューサー1名だけで参加しただけなのに、モス・フィルムの態度はきわめて丁重だったそうである(佐藤忠男著『黒澤明解題』)。
 原作はロシア人のウラディーミル・アルセーニェフ著の『デルス・ウザーラ』他であり、脚本には監督ももちろんかんでいるが、協力者はソ連人であり、スタッフも俳優もほぼ全員ソ連人である。
 原作者のアルセーニェフは軍人であり、物語の時代20世紀初頭のころには、シベリアの沿海州のウラジオストックに配属され、義勇兵部隊の隊長をつとめていた。これは志願兵による部隊で、普段は山野で狩猟をしているが、戦時には道案内や斥候をつとめる(前掲書)。沿海州は東の日本よりの地方で、映画では部隊は地図でも作っているような感じだったが、そのとき少数民族ゴリド人の猟師デルス・ウザーラと知り合いになる。
 デルスはこころよく彼らの道案内を引き受け、すぐに仲良くなるが、隊長のアルセーニェフとは親友のようになる。デルスはかなり以前に天然痘で妻子をなくしてから、まったく孤独な生活を自然のなかで営んでいる。しかし、鉄砲以外の文明の利器とはほとんど無縁なデルスは、長年の経験を通して、驚くほど五感の能力を発達させていて、便利なものはたかだか磁石ていどしか、役に立てようのないタイガの中では、デルスほどありがたい存在はない。デルスにとっては、動物もヒトであり、植物もヒトであり、人間も自然の一部であるにすぎない。デルスは、人間にとっては、時どき恐怖の対象になるにしても、自然こそが、彼の生きる意味を与えてくれるものであり、崇拝の対象である、と考える自然人である。
 最初の出会いから数年後、部隊はふたたび沿海州のタイガのなかにいる。アルセーニェフは60台のなかばくらいになったデルスと再会する。そしてふたたび力強い支援を受けるようになるが、映画の第二部の後半では、鉄砲名人のデルスは視力が弱り、自信を失い、ウラジオストックのアルセーニェフの家に同居させてもらうことになる。しかし、自然の人であるデルスが都会で暮らせるはずがない。たちまち、行き詰まってタイガに戻ろうと決心する。アルセーニェフは餞別に最新式の銃を送るが、これがアダとなってしまった。
 ほどなく知らせが届き、デルスは死んだということなので、アルセーニェフが確認に行くと、役人のいうところでは、贈り物の銃をねらった殺人だろうとのことである。どうも、デルスにとっては、タイガという自然の中にしか、死に場所もなかったようである。

 映画を見れば分かる通り、もちろん自然あいての撮影ということになると、人間の思い通りにはいかない。特に四季にわたってだから、困難は容易に想像がつく。しかし、ここでも人間たちからは、十分な協力が得られたそうである。

2007年11月中旬

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