ホウ・シャオシェンの「悲情城市」

 今度で見たのは五度目になると思うが、このホウ・シャオシェン(1947-)の『悲情城市』(1989)という映画のストーリーの細部がよく分からない。仕方がないから、インターネットを調べてみると、こちらの台湾についての知識が少ないということを思い知らされたこともあるが、脚本や演出の仕方もだいぶ関係しているのではないかということが、六度目に頭の部分を見直していると分かってきた。出だしは分かりにくいし、演出自体がさえていないようである。全体に昔風の省略の多い演出の上知識不足では、十分理解できるわけがない。
 1945年8月、第二次世界大戦で日本が無条件降伏をした日、台湾のキールンの林家の長男の文雄の妾の家で、男の子が誕生する場面から『悲情城市』という映画は始まる。林家は廻船問屋だが、次男は日本軍の軍医として南方に出かけたまま戻らないし、三男の文良もやはり日本軍の通訳として上海にいたが、戻ってきてもしばらくは精神錯乱状態だし、写真屋をやっている四男の文清(トニー・レオン)は耳が聞こえない。この林家という小さな核が中心となって、映画は進行していく。
 日本降伏の直後、中国大陸の国民党の蒋介石は、陳儀という男を台湾の行政長官兼警備総司令としてタイペイに送りこみ、蒋介石の台湾支配がはじまる。もちろん、負けた以上日本人たちは51年にわたる支配を放棄し、日本に引き揚げなければならない。戦後まもなくの状態を描いているので、畳やフスマやガラス障子など日本的なものがたくさん出てくる。
 1947年2月27日、タイペイのヤミタバコ売りのおばさんが、国民党の官憲に殺され、そのことを非難した周囲にいた人たちも殺される。いわゆる二・二八事件が発生し、それ以後外省人(大陸の中国人)に歯向かうとみなされた本省人(もともとの台湾人)は迫害の対象になり、逮捕されたり殺されたりする人たちが続出することになる。以後四年間の死者は二万人以上といわれている。タバコ売り殺しはあくまでもキッカケで、日本人たちが引き揚げたあとに入りこんだ外省人に職を奪われて失業者は増えるし、物価は高騰するし、治安も悪化するし、本省人たちにとって台湾はきわめて不安定な国になってしまったことが、この事件の最大の原因である。それに対して、陳儀は威圧によって統治しようとする。
 キールンの林家の兄弟たちも、特に反蒋介石ではないのだか、長男は三男のヤミまがいのことにからんで、拳銃で撃たれて即死するし、三男も逮捕されるし、四男は友人の妹と結婚して、再び写真屋を始める。しかし、山中に逃れて台湾を守るつもりの、妻の兄も逮捕されるし、四男自身もだれに頼るわけにもいかず、ついには逮捕されてしまう。ストーリーはもう少し複雑だが、同じようなことが多いので、省略ぎみになってしまった。そして四男の逮捕のころの1949年12月に、大陸の共産党に破れた蒋介石は、ついにタイペイを国民政府の臨時首都と定めてタイペイに移住し、長い台湾支配が続くことになる。
 ホウ・シャオシェンの映画のなかでは、最大のテーマを扱った映画だが、それでも『悲情城市』は林家というひとつの家族を離れることなく、地道に大事件をこなしていく。だいたいホウ監督は、おとなしいやさしい性格の人らしく、そのことがどの映画にも表れている。今度もはじめて見るのを5本見たが、好感はもてても他にはめぼしい映画はなかった。見落としもあるが、たいていの作品は見ていて、良いのは二三本しかないだろう。
 ホウ監督は、日本を除いたアジアでは、最初に国際的に認められた監督のようだが、いい作品が少ないのは、世界的な傾向だろう。チェン・カイコーもカンヌでパルム・ドールを取ったのしか優れているとは思えないのは残念である。ただ今となってはきわめて稀なことだが、チャン・イーモーだけが失敗作も十分見られる監督だということになりそうである。アジアのみならず、世界の映画界の現状を見ていると、たしかに映画の時代は終わったらしいと思わざるをえなくなる。

2007年12月下旬

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