J.フォードの『駅馬車』と『荒野の決闘』

 学校で黒澤明の映画を見せていると、最後の時間あたりで先生のジョン・フォード(1895-1973)の映画も見せたくなったりする。今年もそんな気になったので、西部劇の代表作『駅馬車』(1939)と『荒野の決闘』(1941)を見せた。ちなみに10年以上以前の「黒澤明映画100選」の映画のトップは『荒野の決闘』だったはずである。そして締めくくりがハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』だった。いずれもアクション主体の映画で、まさに映画とはmoving pictureだということを如実に示すための選択だと納得がいった。しかしホークスのこの映画は昔ゴダールたちがむやみとほめたらしいが、特に面白いとは思えない。
 しかし、上記の二本のフォードの映画は代表作にも入ると思うし、とにかく何度見ても面白い。「荒野」のほうは、有名な保安官のワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)がカウボーイになり、兄弟たちと一万頭の牛をカリフォルニヤに運ぶ途中、トゥームストーンという町の近くで一息いれることにし、ワイアットなどの三兄弟が街までうさ晴らしに行き、一番下の十代の弟だけが番人として残る。戻ってくると弟は殺され、一万頭の牛は消えていた。そこで真相究明のため、ワイアットはその町の保安官を引き受け、兄弟はその助っ人をするわけだが。容易に保安官になれたのは、街でワイアットが髭をそってもらっているとき、酔っ払った先住民(インディアン)が暴れては銃をぶっ放すので、だれも恐れて手出しをしようとしないのを、シャボンだらけのワイアットがいとも簡単に取り押さえてしまったという出来事があったからである。
 今度見ていて、『七人の侍』の島田勘兵衛(志村喬)が、地主らしい家に入った盗賊がその家の子どもをさらって納屋に逃げこみ、言うことを聞かなければ子どもを殺すと脅し、志村喬が坊主のなりをして油断をさせ、見事に子どもを救うというシーンは、確かにストーリーが複雑になっているが、「荒野」から取られたな、と気づいた。ドラマの主要人物の力量に観客のみならず登場人物たちも惹きつける効果という点で、そっくりだと言いたいわけである。そう言えば、黒澤の医者好きとは無関係かもしれないが、この二本のフォードの映画のいずれにも医者が出てきて重要な役割を演じている。その他部分的に影響を感じるところは、あちこちにある。
 『荒野の決闘』は、いみじくも『七人の侍』をリメイクしたジョン・スタージェスがやはり『OK牧場の決闘』という映画にリメイクしているのは有名な話だが、これまた元の作品よりひんぱんに見られているのではないかと思うと、なさけなくなる。いずれもカラーになってはいるが、前にも書いたように作品としてはとても元の作品に及ぶものではないからである。
 「OK牧場」と同じく、犯人を発見したワイアットは、その牧場で見事に敵討ちをする。もちろん「荒野」の最後の場面を「OK」の最後の場面と比較しようなどとはまったく思わない。

 「荒野」より二年前の『駅馬車』は、最初の設定自体が面白い。宗教的に厳しい婦人会によって街から追い出されたアル中の医者と娼婦らしい女、ほかに電信機能停止を利用して金塊の持ち逃げをはかる銀行の頭取、夫に会いに行こうとしている騎兵隊士官の妻、バクチ打ち、それからアルコールのセールスマンが、最初の乗客だが、少し行ったところで監獄から逃げ出したヤクザということになっているリンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)が、馬を乗りつぶしたらしく、乗りこんでくる。もちろん御者と保安官は最初から乗っている。途中のはたごで士官の妻の出産がある。アル中の医者はアルコールを身体からなんとかたたき出して、無事子どもを誕生させる。最初は士官の妻からそっぽを向かれていたくだんの女性が出産に当たって大活躍するのは言うまでもない。
 途中まで一緒に来た騎兵隊の兵士たちは護衛のために来たわけではないから、本来の仕事に向かってしまう。その後先住民のアパッチに襲われ、駅馬車の連中は弾のある間は、ほとんど銃をもたない先住民に対し比較的優勢だが、多勢に無勢の上弾丸が切れて、風前の灯となったとき、突然騎兵隊が現れ乗客たちが救われるところは、西部劇の定番だが、リンゴー・キッドの問題はまだ片づいてはいない。
リンゴーは、父と弟を駅馬車が向かっている目的地にいる悪党どもの三人兄弟に殺されたのに、自分が犯人にしたてられ、刑期の途中で逃げ出したのだが、目的はもちろん復讐にある。子どもの出産のときリンゴーと言い交わしていた街を追い出された女は、三人もの相手と戦うと聞いてとまどうが、リンゴーは首尾よく目的を達成する。そして、リンゴーの無実を知っている保安官は、まだ刑期が一年残っていることを知りながら、ふたりがリンゴー所有の街の近くの牧場に行くことを黙認する。
 これまで、ジョン・フォードと黒澤明の映画を見比べる機会が何度かあったが、両者の最大の相違は、黒澤はひたすら男の世界のみを描き出しただけだったし、たしかにそのことにはたけていたが、男の世界のみならず男女間の関係もアクション・ドラマの中にたくみに取りこみ、そのことで作品の幅をずいぶん広げ、観客の心にぬくもりも残す芸当という点では、黒澤はついにジョン・フォードには及ばなかった、というのが両者を比較する際にいつも感じることである(言い忘れていたが、この二本の映画は、いずれもほぼ明治維新-1868年近くの年代の映画である。南北戦争直後だつたから、明治維新のときアメリカは、なんのチョッカイもだせずにいたのである)。

2006年1月下旬

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