木下恵介『喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)』(1957)

例によって教室で見せた映画を話題とする。一年生から取れる授業は二クラスあるので、長さとか質とかをだいたい統一しておかないと、後で困ったことになる場合があるので、それが決まりのようになっている。一方は黒澤明の『七人の侍』(1954)と長いものになると、もう一方もやはり長い『喜びも悲しみも幾歳月』という具合になったりする。このコーナーが始まったころ、『七人の侍』について、「黒澤も若かった」などと言ったりしたが、どうも二三年立て続けに見ていたはずだし、体調もよくなかったのだろう。たしか、島田勘兵衛(志村喬)の台詞があまり悟りきった風に聞こえて癇に障ったような感じだった。黒澤監督53,4のときの作品で、今回一年間をおいて見直したが、従来どおり見事な傑作だと再認識した。
対抗馬の木下恵介は黒澤より二歳年下で、所属会社は違うがこの当時までは相当に対抗意識が強かったらしいことは、以前に引用した小林正樹のインターヴューで触れられていた。あのころは現代劇と言えば家族ドラマと決まっている感じで、そういう作品では灯台守一家を扱った『幾歳月』は代表作ということになるだろう。たしか、この年度の観客動員数は日本映画では最高だったと思う。小津映画もその系統だか、この人のはその域を越えているという感じである。
今回は筆者の意見を述べるより、面白い学生の感想があったので、それをいくらか借用することで、お茶を濁そうという魂胆である。(いくとしつき)と読み方まで書いたのは、その学生が正確な題名を聞きに来たとき、歳月はサイゲツとしか読めないだろうと推測したらそのとおりだったからである。現にこのワープロでもトシツキをいくら変換しても、歳月は出てこなかった。学生は、感想を出す最終回には遅刻して、到着したら終わっていたとのことで、ビデオを借りて感想を書くが、それでもいいかと確認にきたのである。
ところがビデオ屋に行くと1986年の「新・喜びも悲しみも幾歳月」しかなかったので、それを借りたそうである。たいてい本人がやってもリメイクの方は良くないけど、と答えたが、感想はワープロA4一枚分も書いたということもあってなかなか良かった。もっとも3年生ではあるが。

この映画をレンタルしてきて部屋で見ていると、母親が「懐かしい、小さい頃に見たことがある」と言って僕の隣に腰掛けて一緒に映画を見始めた。物語を進んで見ていく、するとそこにはあまりに美しい家族の愛情が描かれていて、僕は隣にいる母親を横目になんだか申し訳ない気分があふれ出てきた。普段好き勝手にやりたいように生活して、父親ともいつからか一日に一言二言の言葉を交わす程度でほとんど触れ合うことがないまま暮らしている。たまに些細なことで注意をされる度に腹を立てていた。両親に限らず友人関係にしても恋愛にしても、思えば僕は自分を受け入れてもらうことだけに熱心で、理解してくれない相手にいつもイライラしていたように思う。相手の気持ちをくみ取って、相手を愛するとか相手を受け入れる、見詰め合うという発想がまったくなかったのではないか。この映画を見ていたら普段している親不孝に気づかされて、ひどく苦しくなった。そしてそれと同時に劇中の家族を大変うらやましくも思った。
今の時代はジェンダーフリーが叫ばれ、女性の地位が向上するに伴って、結婚しない女性や熟年離婚の割合が年々増加しているという。そんな時代に堅く手を握りあい、寄り添い支えあって共に成長していく夫婦の姿が描かれていた。「私たちの行く先にどんな苦労が待ち受けているのかしら?どんな苦労が待ち受けていようとも乗り越えていくわ」と妻は言う。今の時代に忘れられていたすべての良心がここには描かれているではないか。「苦労」という言葉、知っているようで僕たちの中にはない言葉かもしれない。灯台というある種世の中から隔離された世界で、たったふたりぼっち、お互がお互いを深く見つめ合いながら毎日を送っていく。

以上で半分弱である。近頃の学生とすれば、これでもいい文章が書けている方である。解釈は理想化しすぎのところもあると思うが、読ませる文章なので全部引用したいが、残念ながら分量的にシンドイことになりそうなので、ここまでにしておく。
2005年6月中旬

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