小津安二郎と中村雁治郎

 前回は「黒澤明と小津安二郎」という二人の監督の名前を併記したが、今回は監督と俳優の名前を併記している。なんのためにそうしたかというと、小津の映画で中村雁治郎が主演のものが二本あって、その二本の映画のことを書いてみようと思ったからである。それも、今まで見ていない『小早川家の秋』(1961)を、前回に書いたBS2の「小津生誕100年」で見ることができ、今年の7月ころ学生たちにも見せたという事情があったからである。どうもやはりテレビで見ただけでは、きちんと評価ができない気がして、学校の比較的大きな画面で見た方が印象に残りやすく、ついつい学校の話が出てきてしまう。しかし雁治郎といっても、今の関西歌舞伎の雁治郎ではなく、そのお父さんの先代の雁治郎の事である。
 中村雁治郎という名前はもちろんずいぶん昔から知っていたし、歌舞伎の方はめったに見ないので、映画で見ていた訳だが、やはり一番印象に残っているのは、以前は黒澤明の『どん底』(1957)〔ゴーリキー原作の芝居〕の大家役の雁治郎である。因業な大家で自分の一軒の持ち家に住みこんでいる何人もの住人ににらみを利かせていた。ほとんど表情を変えない役どころだったが、この映画では最後に殺されてしまう。たしか前回に書いたように黒澤の作品は学生にほとんど見せていて、この『どん底』も例外ではなく、何度か見ているうちにすごい役者だな、と思うようになった。
 小津の方では、『浮草』(1959)をやはり何度か見せていて、それを通じてなじみが深くなった。この映画はさっきの「小津生誕100年」の際には確か視聴者から5位に選ばれた作品だか、自作の『浮草物語』(1934)のリメイクである。それくらい愛着があったテーマのようである。
いわゆるどさ回りの旅役者たちの一座が、どうも和歌山県の海沿いのどこかの田舎町にひさしぶりにやって来る。その町には、二十年ほど前に雁治郎演ずる座長とその町の娘(杉村春子)とのあいだにできた息子(川口浩)がいて、座長としてはその息子の顔を見るのを大変楽しみにしてやって来たのである。息子は郵便局に勤めていて、上の学校に行こうと思っている。お母さんは食堂をやって暮らしを立てている。
 座長はさっそくその食堂をしげしげと訪問するようになるので、座長の現在の女房(京マチ子)は、どうもその食堂との親密な関係に気づいて、嫉妬から、その息子を同じ一座の若い娘(若尾文子)に金を渡して誘惑させる。息子の方は座長を伯父さんだと思っていて、ときどきやってきては一緒に釣りなどして遊ぶ人だくらいにしか思っていない。ところが、最初の誘惑が本物の「恋」にまで発展することになり、親に無断で外泊ということになると、親達は黙っていられない。座長の方はその娘の男性関係を知っているから息子と結婚させたくはないし、母親としても座長から教育費などをもらって息子を育ててきた以上、座長が実は父親であり、十分とはいえないまでも援助をしてきてもらっていることを伝えなければと思う。しかし話を聞いても、息子は最初の意志を翻そうとはしない。そこで座長は暗黙の許諾を与える。しかし、そこまで来る以前にあまり客の入りのよくなかったその一座のなけなしの金を役者の一人が持ち逃げしてしまい。一座は立ち行かなくなって解散に至っている。かつての一座の女房の気持ちも座長から離れてしまっているので、座長はすっかり孤立してしまう。そこで以前からの夢、立派な一座を作り、息子の前に胸を張って出られるような座長になりたいという夢に、もう遅すぎるかもしれないが、もう一度挑戦しようとして、国鉄の駅までやって来ると、やはり行き場のない座長の元女房も居合わせていて、どこやらの旦那を訪ねていけば、「なんとかなるやろう」と意見が一致し列車に乗ると、一座の何人かも乗り合わせていたというあたりで終わっている。息子の方も父親だと知ってそのことで心を動かされてはいるのだが、座長が食堂を離れるときに、それを言うことができなかった。悲しい分かれではあったが、なんとか心は通じてはいたのである。
 もう一本の『小早川家の秋』の雁治郎も女道楽で、一家の商売はもう娘夫婦に譲って楽隠居を決めこんでいたのに、戦前に付き合っていた芸者らしい女と偶然再会し、よりを戻す。当然娘夫婦のヒンシュクをかうが、女と付き合い続け、その女の家で脳梗塞らしきもので亡くなる。ところが、いてもいなくても良さそうな男だったが、亡くなられてみると、それなりに必要な役割を演じていた男だったことが判明する、という話である。
どうも小津さんは、道楽者を描きだそうとすると、雁治郎を引っ張ってきたくなるらしい。外見だけからすると、四角い顔のあまりいい男とも思えない雁治郎が使いやすかったようである。たしかに人選は当をえていた、と何度も見ていれば納得がいく。雁治郎ならうまい役者だろうから、小津さんが自分の映画のために育てたような「ヘタウマ」の役者笠智衆のように何度もダメ出しをする必要もなかっただろう。ただ、雁治郎の出ている映画は、戦後の嫁入りものを代表とする家庭内ドラマとはちがって、いずれも所属会社の松竹とは別の会社で作っているので、野球の球に例えれば、変化球を投げたくなってもおかしくはないといった作品である。そして、われわれ観客にとっても楽しみが増えるということになる。それを助けたのが、雁治郎だったと言うことであるらしい。
2005年1月中旬

映画エセートップへ