黒澤明と小津安二郎

 学校の授業の中で映画を使うことになったいきさつについては、以前に書いたので、今度は映画の中心にしている二本柱の黒澤明と小津安二郎について少し書くことにする。どうもテレビを見ていると、日本の映画が取りあげられる機会があまりないようなので、学生たちは日本人なのだから日本の映画について知ってほしいというのが、ふたりの日本人の監督を選んだ理由だった。
 そして、やり始めてみると、アメリカ映画が映画で、日本の映画はたいしたことはないという意見の学生たちがかなりいるということが分った。それも道理でどうも昔の映画は多少なりとも入りこむ努力をしなければならないが、同時代のものはそんな必要がないというのが大きな理由のひとつだし、すでにそれ以前に衛星放送を除けば、あまり日本の映画は放映しないし、現代には優れた監督がほとんどいないのだから、邦画はつまらないと思って当然という一面もある。しかし、どんなアメリカ映画を観ているかと言うと、当然のことながらごくありふれた娯楽映画しか知らないのが大部分の学生である。スピルバーグという監督の名前くらいは知っているのもいるが、それは彼の作る映画の多くが娯楽映画なのだから、学生が知っていても驚くにはあたらない。日本映画も見せる以上は一流のものでなければならないが、一年生には動的な要素の多い「世界のクロサワ」で名前を知られている方が向いているだろうし、小津の方もなんとか「世界のオヅ」だということを理解させなければ、そっぽを向かれるので、たとえばヴィム・ヴェンダースの「東京画」などを見せてから始めるという具合にした上、邦画のあいだにはアメリカ映画を挟むという気のつかいようだった。ともかくあきれるほど何も知らないのだから、お手上げである。おまけに外国語大学だから外国語さえ勉強していればいいと、入学直後の一年生は思っている。入学後半年もすれば自分の語学力が分るので、留学できそうなの以外はあまり語学の勉強もしなくなるのだし、他の学問もやるわけではないのだから、よその学生より教養面でもかなり欠けるところがあるようである。しっかり映画でも見て少しは人間についての勉強もしてほしいくらいの親心で始めたのだが、今ではほとんどあきらめている。ともかく少数の者を除けば点数を取ることしか考えていないからである。
 ところが学生のことなどどうでも良くなってきた頃、こちらに変化が生じた。黒澤の映画は代表作はもちろんだが、すでに十年以上やっているので、見せていないのは「素晴らしき日曜日」、「静かなる決闘」それと「醜聞」だけで、残りはすべて二回以上で「七人の侍」などはすでに十回以上である。ただ最初のうちはなぜだか気づかなかったが、黒澤のは二、三年やると一年は休みたくなる。今年も休みにしていて、日本映画は数を少なくするようにして、篠田正浩でしのいだ。ところが、小津の方はたしか時間が短すぎたので使わなかった「長屋紳士録」と「風の中の雌鳥」を除いた戦後の作品11本をとっかえひっかえやっていながら、一度休んだだけである。もっとも昨年暮れから今年にかけて生誕100年記念をBS2がやってくれたおかげで、これまで欠如していた「宗方姉妹」と「小早川家の秋」が使えるようになったから、さらに休みの率はへるのではと思っている。同じバックを平気で使ったり、同じ演出を繰り返し使ったりしているところがあるにもかかわらず、あるいは同じようなことばかりやっているからか、小津は黒澤以上にパーフェクトな作品を作り続けていたということが良く分かった。小津流にいえば、「豆腐屋には豆腐しか作れない」と言うことなのだろうが、それにしてもいつ食べてもすこぶるうまい立派な豆腐をつくってくれたものである。おまけに、この豆腐は腐らない豆腐なのである。最初のころは「世界のオヅ」というときには多少のためらいがあった。本当に知名度がそうなっているかどうかにいくらか不安があったからである。ところが、先の生誕100年のBS2で、没後40年のときたしか松竹が作った「小津と語る」というドキュメンタリーを見て、中国からヨーロッパやアメリカの監督までが、小津を絶賛しているのを見て心を強くした。このドキュメンタリーの締めくくりは、先に名前を出したドイツのヴィム・ベンダースと台湾のホウ・シャオシェンだった。適当な人選だと思った。ふたりとも、多分小津を「映画の神様」だと思っているようだからである。
2004年12月中旬

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