日本映画は復活するのか

 この一週間ほどのあいだに、日本映画の興行成績がすごくいいと報道しているニュースとか、朝の NHKの総合テレビで日本映画は復活するのではないかということが、話題になったりしている番組を見た。顔はおぼえているがいつも名前が思い出せない、本人もたよりになりそうにないし、映画もたしか二、三本は見たけれど、別段どうということもない映画を作るちょびヒゲの監督とか、あやしげな映画評論家らしい女性が出ている番組だったが、興行収入のいい映画が何本も出ているとか、アメリカでたしか30過ぎの日本人の監督の作った映画がヒットしているといったことが、話題だった。
 そして中年女性は韓流ブームだが若者は日本ブームだとかで、やはり日本人は日本のことならよく分るし、日本の俳優の方がなじみを持ちやすいのではないか、などという発言が飛び出していた。今アジアで支配的なのはまだ香港映画だろうし、これからは韓国映画になる可能性もあるのなら、いずれ日本がかつての興行成績トップの座を取り戻すことは必ずしも不可能ではないだろう。そういう意味でなら「復活するのか」という話題が出てきてもおかしくはないのだか、昔なら黒澤も小津も成瀬もといったそうそうたる面々がそろっている中で作られた娯楽映画がアジアでアメリカ映画と並んでの話だろうが、ほとんど市場を独占していたといった理想的な形に戻れるとは、とても思えない。
 日本では、いまから30年くらい前までは、欧米文化を輸入して以後明治以来維持されてきていた文化的価値観を、テレビと受験戦争が破壊してしまった。それは現在60代半ばくらいの年齢の人なら誰もが知っていることだが、筆者たちより5年くらい若い人たちからすでに価値観の下落は始まり、30年ほど以前に愕然とするほどの下落があり、それ以後も年々下落を続けているといった現象のことを指しているのである。これは、筆者たちより数年若い世代から、塾などを中心とする受験体制が確立されて、若者たちは完全にその支配化に置かれ、学校の勉強以外のいわゆる小説を読んだり映画を見たりうんぬんの自由な人生勉強に類するものをやっている時間的余裕がなくなり、余暇はテレビで受動的に時間を過ごすという形式が常態化してしまったため起こった現象の結果である。それに今ならさらにテレビゲームとやらいうものがどうやら主流となり、いくらなんでももう下げ止まりだろうと思っていた知的能力をいまなお下げ続けている。地価はどうやら下げ止まりのようだが、知的な能力や感性的な能力、ここでは主に芸術的な方面にかかわる能力を問題にしているが、これに関してはただただ唖然とし続けるばかりである。さらにこのような現象はかつては封建道徳の名残として忌み嫌われた広い意味での倫理道徳にも影響を及ぼし、まったく人間としての常識というものすらも身に着けていない人間たちの引き起こす、奇奇怪怪な理解しがたいいやな事件が続出する原因にもなっている。偏差値さえ高ければ、親は子供に一言の文句も言わないのが大勢のようだから、当然生じてきておかしくない事柄だろう。人間にとって大切なものは何かを考えようとする発想すらもが欠落した成れの果ての姿である。
 映画の話からとんでもないところまで行ってしまったが、映画に戻ると、映画は文学とも絵画とも音楽とも関わりのある総合的な芸術だから、ほかの芸術分野の下落ももろにかぶることになる。映画に関わるほかの芸術もそれぞれの価値観がおそらく先にも書いたように、30年ほど以前に仰天するほど堕落して、堕落は相変わらず続いているはずである。国をあげての受験戦争とテレビと両輪はそろっていないから、外国のほうがまだしも幾分ましに見えるだけで、テレビという便利だが人間から多くの場合思考力を奪う文明の利器の効果はてきめんであった。日本にテレビが普及し始めたとき、大宅壮一と言う「評論家」が「一億総ハクチ化」が起こると言ったが、この予言は見事に的中した、本人が生きていたら、その的中の度合いに驚くほど的中した。たしかこれは小津映画のせりふにもなっていたはずで、日本だけではなく世界中の芸術的な価値観や倫理的な価値観の下落の原因になった。もっとも倫理に関しては宗教の問題もはずすわけにはいくまい。宗教的価値の下落が倫理的価値の下落の大きな原因の一つであるのはたしかだろう。
 こう下落が続いていれば、映画の興行的な復活ならともかく、優れた監督もわずかしかいないこの国で優れた映画を作りうるとはまったく信じがたいし、これは外国でも同じことだろう。いまだに昔の監督たちの作った名作映画の数のほうが、ここ2,30年に作られた名作よりはるかに多いはずである。去年から今年の初めにかけて、ジョン・フォードの「荒野の決闘」、「駅馬車」、それにフランク・キャプラの「或る夜の出来事」、「スミス都へ行く」などという1930年代から1940年代にかけてのアメリカ映画の代表作の一部を学生たちに見せたが、彼らは感激していた。ただ「モノクロにこんないい映画があったとは知らなかった」という彼らの感想はもちろん無知を表しているだけだが、観客はいいものを見たがっているのは今も昔も変わらない、観客の要望に答えられる映画なりなんなりを作り出す才能がほとんどいなくなったのが、当然のことながら現実だというだけのことである。要するに興行成績などというのは商売の話であって、映画の価値とは無関係だということである。たぶん、そんなことは分りきったことでも、日本映画の衰微があまりにもひどすぎるので、せめて興行成績なりとも問題にしなければ、この不景気な世の中、気がめいるばかりだということなら、こちらだとて理解はできる。

2005年2月中旬

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