黒澤明「 七人の侍」その他(2)

「七人の侍」(1954)は、一言で言えば「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を絵に描いたような、アクションに重点のかかった名作だった。それも日本にはなかったジョン・フォード仕込みのリアリスティックな本格的アクションが大きな魅力の一つだった。そして、「サムライ」という言葉を世界に通用する言葉にした映画だった。
 筆者の頭のなかでは、侍とアクションとの関連ということで、「七人の侍」(1954)、「用心棒」(1961)、「椿三十郎」(1962)はほとんどあいだを置かれることなく作られたという印象があったのだが、「七人」から「用心棒」までには8年もの時間があり、今、年譜のようなものを見ていると、その間には「生きものの記録」(1955)、「蜘蛛巣城」「どん底」(1957)「隠し砦の三悪人」(1958)、「悪いやつほどよく眠る」(1960)という5本の作品が横たわっている。このうち「生きものの記録」を除けば、どれも封切時に見ていて、「蜘蛛巣城」と「どん底」は傑作だと思うが、最初に見たころはよく理解できていなかったと思う。「悪いやつほどよく眠る」は基本的には政治家や官僚たちは同じことをやっているどころか、もっとひどいことをやるようになっていて、そのことの問題点を洗い出した点では評価するが、作品としては失敗作である。これについてはいずれ黒澤明の「センチメンタリズム」とでもいったことで、改めて書くつもりである。「隠し砦の三悪人」は見た当時は楽しい映画だと思っていたが、多分十年ほど以前に見直して、あまりいいできのものではないという感想をえた。本来ならもう一度見てからとやかくいうべきだが、今は時間がないので、しばらく猶予を願いたい。それにひきかえ、「隠し砦」と同じく娯楽に徹した「用心棒」と「椿三十郎」とは黒澤の傑作と見なして一向に差支えがないと思われる。この三つの娯楽映画は、優秀な監督がほとんど観客を喜ばせるためだけにその能力を使っているという点では共通しているが、後の二つにはある、たたみ掛けるようなリズムに観客を乗せてしまうという特徴が「隠し砦」にはなかったように思う。結論は、「終わりよければすべてよし」にするつもりなら、単刀直入にやってしまったほうがいいのである。そういう点で「隠し砦」には欠けるところがあったのでは、と思われる。「七人の侍」にしても、ストーリー自体は単純で、戦闘のシーンのリズムのよさは申し分ない。ただ戦国時代に、侍にああした正義感がどれだけ共有されていたかという点になると、いくらか首をかしげざるをえない。しかし、そうした正義感がなかったともいえないだろう。一般的かいなかの問題である。それに昨年見直したとき、こちらが年を取ったせいで、黒澤さんも若かったなと思わせられる点もいくつかあったのを思い出したが、この点も今後の課題ということにしておくことにする。
 最後に、これは多分1ヵ月ほど以前にフランシス・F・コッポラの「ゴッドファーザー」(1972)を学生たちに見せていて、このアメリカ映画にはなかったと思われるコッポラの画面の力強さはどこからきたのだろうと考えながら見ていて、これはやっぱり黒澤明の影響だろうということに、思い当たった。コッポラあたりからしばらくは、黒澤の影響が強そうだからである。なお、先ほど年譜のようなものを見たと書いたが、「影武者」(1980)の「海外版製作を黒澤を師と仰ぐフランシス・コッポラ、ジョージ・ルーカスが買ってでた」(佐藤忠男)と書いてあったのでやはりと思ったものである〔引用文は、「日本映画テレビ監督全集」キネマ旬報社刊、1988〕。
 そういえば、「用心棒」のほうも、これを見たクリント・イーストウッドが、いわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる西部劇を作る際、こういう西部劇を作りたいという思いが強かったと言っていたことがあったが、「荒野の用心棒」のセルジオ・レオーネ程度の凡才では、どうにもならない。不審に思う人は両方を見比べれば、すぐ分かることである。「荒野の」は「用心棒」の盗作だと訴えられたこともあったらしいが、商売上の事柄はともかく、映画そのものに話を限定すれば、全部を見たわけではないが、終わりまで見ていられるような「マカロニ」は一本もなかったと思う。前回と同じ結論になったが、才能の違いはどうしようもないからである。

2004年7月中旬

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