成瀬巳喜男『浮雲』(1955)

 どうも体調が悪くて、四か月近くもパソコンにふれなかったら、さわってみてもへまばかりしていて、一向に先へすすまない。入院もあったし、帰ってから元の病院へ行ったら肺気腫とのことで、じっとしている分にはいいが外出などとんでもないということになった。寝てばかりいるので一向に元気は出てこないし、最低の状態とはこういうのをいうのだろう。他にも病気のあることはすでに書いたとおりだから、今更なにをかいわんやである。目下は気晴らしにこれを書いているが、これとて一向にらちがあかない。

 日本映画専門チャンネルで、成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演の『女が階段を上る時』(1960)、『娘、妻、母』(1960)、『あらくれ』(1957)、『妻の心』(1956)、『浮雲』とをやっていたのでそこらについて書く。中心は代表作とされている『浮雲』である。これも女が主人公の映画で、全作品はまだ見ていないが、成瀬の映画はたいていは主人公は女だろう。これだけ女にこだわった監督は世界中を見渡してもほかにいないのではないか。今回なぜなんだろうと考えてみたが、多分監督がそうしたかったから、そうなったという程度の答えしか見つからないのではないか、思った。
 もちろんほかにもたくさんの秀作があるが、ともかく今回は代表作とされている『浮雲』を中心に見ていく。主人公の女性は、やはりどこか特徴のある個性の持ち主で、もちろんどこにでもいる女性ではない。
 『浮雲』の主人公のゆき子(高峰秀子)は、戦争中軍のしごとでベトナムに渡り農林省の事務官富岡(森雅之)と、妻があると知りながら結ばれる。富岡より遅く日本に戻ったゆき子は、森岡が離婚するという約束を守っていなかったことを知る。
 挙句の果ては占領軍の米兵の情婦になるが、なじる富岡とよりをもどし、伊香保温泉に旅行するが、そこの飲み屋兼旅館の主人の女せい子と富岡はできあがってしまう。富岡は女好きなのである。東京に戻るとゆき子は妊娠しているのを知り、富岡を訪ねるとせい子と同棲しているのを知り、子供をおろしてしまう。さらには新聞でせい子は亭主に殺されてしまったことを知る。
 おまけに富岡は、仕事で当時としては日本の地の果てという感じの屋久島に赴任することになる。ここまで書いてくるとずいぶんいろんな事件がおこっていたのだなあと思うが、もともとが尋常な出発点ではなかったので、それほど事件が生じたという感じはしない。一つにはゆき子の富岡へのひたむきな思いのせいで、そう思わせないところもある。ひたむきな思いは一向に変化しないからである。女性らしいひたむきな愛情である。これが男だったら、とても話はここまでもたないだろう。
 富岡の屋久島行きを知ったゆき子は、病気らしいのにあえて同行しようとする。屋久島に発つ前日病気が悪化したゆき子は、数日間寝込むが、ついには屋久島に到着し、富岡が仕事で一日家を空けているあいだに亡くなってしまう。よくある「悲しい恋の物語」だが、映画という技法のせいか、成瀬さんの主人公への共感のせいか、哀れさを感じることしきりである。

 少し短めだが、病中らしく、ここまでにしておく。

2012年10月初旬

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