山田洋次『家族』(1970)

 今月あたりはあまり病院に行かなくて済むだろうと、月始めに予想をつけておいたら、二日の日に予想が当たっていることが判明した。来週の水曜にでも近くの病院に薬をもらいにいっておけば、来月まではどの病院にも行かなくていいらしい。おまけにガンの病状のほうは特に悪くなっていることもないらしいので、やれやれである。病院行きが増えると、まるで病院に行くために生きているという感じになってきて、これは精神衛生上はなはだ好ましくないが、かといって行かないわけにもいかないのではなはだ困りものである。
 今月も映画はまたF.トリュフオになるのではないかという予想のもとに、『ピアニストを撃て』(1960)、『アントワーヌとコレット』(『二十歳の恋』所収(1962))『恋のエチュード』(1971)、『柔らかい肌』(1964)、『アデルの恋の物語』(1975)、『終電車』(1980)、『隣の女』(1981)など放映された分を録画しておいて全部見たが、昔は結構感心していた映画だったはずで、最低でも一度はみているはずのものが、こちらも年を取ったせいかいっこうに感興がわかない。その前に「山田洋次が選んだ日本の映画100選」関連の映画を見ていたせいか日本人のきめ細かい演出の後では、トリュフォの演出も雑に見えて仕方がない。見終えたあとで「100選」の50本目を選者山田洋次の『家族』を見たので、これにしようと決めた。
 それにしても100選のうちの家族編の最後の映画を自分の映画でしめくくるとは、度胸がいいなと思った。自分のが一等優れていると思っているわけでもあるまいが、選者である以上それくらいの度胸があったほうがいいのかな、と思い直した。なにしろどうも21世紀になるころまで、つまり「寅さん」の終わるころまで、観客動員数が多いから、会社に金をだしてもらって映画を作っていたらしいのは、彼だけのようなので、そういう意味では一番ぬきんでた監督だった。1970年生まれの自閉症の息子が興味を持った映画は「寅さん」だけだったので、息子が5歳なるころから、祖父のなくなるころまで、盆暮れには時には筆者も加わって見物にでかけ、ほぼ祖父のなくなるころまで続いたので、息子は「寅さん」をほとんど全部見たことになるわけで、わが屋にとっては一番因縁のあった映画監督ということになるだろう。
 さて『家族』のほうは、そんな映画があることすら知らなかったが、上のような事情で最近見て、いっぺんに気に入った。日本の映画名作100選「家族」編をしめくくるにはたしかに向いていそうな、家族の情に満ちあふれた映画かなとストーリーを思い返しているうちに気分転換が生じた模様。九州の長崎の島に暮らしている男の会社が倒産して、男は子供のころからの夢だった北海道での酪農をやってみようと決心する。嫁は反対していたが、男が頑固なので妥協し、同居していた祖父を広島にいる男の弟のところに預ける予定で出発するが、弟のところもサラリーマンながら景気はいいが家のローンと車のローンで苦しいので、祖父を預かることを渋るので、一緒に連れて行くことにし、ともかく大阪までたどり着きちょうど開催されていた万国博覧会の入り口のところだけ見物し、東京までは新幹線である。到着すると三人の子供のうち女の赤ちゃんの具合が悪くなり、夜だったので医者となかなか連絡が取れず、赤ちゃんを亡くしてしまうことになる。
 東京以後は新幹線はまだできていないので、従来線で北海道までやっとたどりつく、酪農の指導をしてくれる根室あたりにいる知人の家で、歓迎会をしてもらうが、それまでなんとか持ちこたえていた祖父もたまった疲れが原因らしく、翌日には死亡している。到着までにふたりの死者を出した大旅行だったが、何とかおさまりもつき、新しい出発をしようとしているところで、映画はカトリックの妻にまたあらたな子供が宿ったことを告げて終末である。二人の死者を出すという大きなブレがあったにもかかわらず、家族の絆は健在で、なんとかなりそうな予感である。昨日の何放送だかのニュースに出てきた若者が着ていた半纏の肩の下に、たしか二箇所「なんとかがんばりやー」という文字が二箇所書かれていたが、映画の家族は「がんばりやー」と言いたくなる家族である。それにしても今の日本には「がんばりやー」と言いたくなる人たちが多すぎるほどではないか。 

2012年4月上旬

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