小津安二郎『小早川家の秋』(1961)

 この映画は東宝系の「宝塚映画」の招へいで出来上がることになった映画のようで、なんだか先代の中村雁次郎がゆかた姿で扇子で顔をあおぎながら歩いていている姿がイキな感じなのに惹かれてちょっと書いてみようかと思っただけのことである。今までのように書く映画が見つからなくて小津さんをたよりにしたわけではない。
 もちろんストーリーその他遺作から二つ目となれば、何か文句をつけるどこか小津さんの映画はたいていストーリーは平凡だが、映画としてはお手本のような作品である。
 どこか関西の造り酒屋の老主人(先代中村雁次郎)がひょんなことから昔の女(浪速千枝子)と出会い、よりを戻す。そのため頻繁に外出するので、家族はあやしみ、店の者にあとをつけさせると、京都に住む昔の女だったと判明した。おまけにその家には老主人が父親だということになっいる年ごろの娘(団玲子)まで同居している。さいわい老主人の細君は故人なので、その点では問題はないが、後を継いでいる次女(新珠美千代)はお冠で、ことあるごとに父親にあてつけがましいことを言う。旦那(小林桂樹)の方は、あまり咎めるのはどんなものかと忠告してはいるのだが。
 それと、主人をなくした長女(原節子)と三女(司葉子)の見合い話が絡んで物語は進行していく。長女は再婚はあきらめてしまうが、三女も見合い話にはのらず、以前から心を寄せていた男性に向かうことに決めてしまう。そうこうしているうちに老主人は、心筋梗塞とおぼしい病気に倒れるが、幸い持ち直すともとのもくあみである。さっそく女のところに出かけて行って、大阪にまで出かけることになり、女の家にもどると、老主人の病気はぶりかえし、あの世にいってしまうことになる。もちろん本来の家族が引き取って葬儀がおこなわれることになるが、やはり浴衣に扇子のあの老人はとてもなつかしい気がする。
 ところで、御覧のように映画の解釈はすでに終わっているが、じつは老人に絡めてもう一人の老人の話がしたいために、この映画をえらんだということもあるのである。その老人とは筆者の母方の祖父のことである。もちろんイキさという点では雁次郎にはとても及ばないが、女好きという点では負けず劣らすだろう。母方の祖母の二度目の結婚相手で、二人の間には子供がいなかったせいか、筆者が祖父の愛情の対象となり、ずいぶんかわいがられた。ともかく、筆者の言うことは何でも聞いてくれるし、望むものは何でも買ってくれる。もちろん幼児のねだるものは、それほど金がかかるわけではないから、要求は簡単に受け入れられた。大阪にいたころは、別居だったものが、戦争になったので、祖父の田舎、出雲今市に引っこんだが、どうやらこの引っ越しは先の女好きとも、どうやら後で聞いたところでは関係があったらしい。終戦の一年ほど前に筆者が疎開で厄介になったため、関係はきわめて密になる。祖母から「甘やかしすぎ」と苦情が出たほどである。
 それからしばらくは時時母親と一緒に会いに行く程度だったが、筆者が中学に入学したとし、老夫婦は再び大阪に現れて、最初の一か月程度はわが家に同居していた。祖父は相変わらず筆者をあまやかそうとするのだが、こちらももう中学生だし、母親から釘をさされたりしていたので、ひどくあまえるということはなくなった。そして新しい家に引っ越してからは、親戚の男子を養子にもらい、その人が結婚したので、男の子がふたりでき、特に長男のほうに愛情が集中した。
 色好みのほうは、映画と同じく続いていたが、映画の方の老人は孫などに血道をあげず、最後の外出の時には、次女の目をはばかって、孫とかくれんぼをすることにして、最後の外出のために利用したりしている。もちろん愛情を感じていなかったわけではないだろうが。
 子供への愛情に話が移ってしまったが、この問題に関しては筆者の家も大いに関係がある。子供が自閉症だとわかって五歳くらいになった時、治療者の命令で子供をいっさい叱らず、子供の欲することはできるかぎりすべてを聞き入れてやらねばならなくなった。毎日家にいるあいだは付き合っている妻には、かなり困難なことだったようだが、筆者との付き合いはそれほど密接なものではなかったので、いちども叱らずにすますことができた。
 こちらの方は、筆者と祖父との関係に似ているだけで、映画とは無関係である。少しづつ移動して話は予想しないところまで来た。

2012年5月下旬

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