黒澤明の映画(5)『生きる』など

 今月はまた黒澤明だとはもちろん分かっているが、なかなか映画を見る気が起こらない。『羅生門』(1950)の後は『白痴』(1951)だからである。これは多分すでにニ三度は見ているが、おもしろくないから見たくないのである。筆者の見解では、すでに少し触れていると思うが、黒澤さんの映画はアクションがらみの力強いタイプのものとセンチメンタルでインイン滅滅たるものとに大別されるようである。そして黒澤さんは基本的にはやはり内面に重い暗部をかかえている人だと思う。そういう映画の代表が『白痴』ということになるのではないか。どうも一般的には現代劇風のものが、このタイプに入るようである。
 もちろん、『羅生門』で賞を取り国際的にも認められるようになったのだから、ここ一番大作をと考えるのが当然にしても、原作がドストエフスキーということになると、どうだろうかという気がする。もちろんこれは今になってそう思うというだけの話であって、発表当時少年の筆者がそんなことを考えるわけがない。例により佐藤忠男氏の『黒澤明解題』を見ると、最初は前後編二部の4時間25分の作品だったらしいが、製作会社の松竹が「暗い内容」で一般受けしないからカットするよう指示したらしい。「縦に切れ」と黒澤さんが怒鳴ったらしいということは昔聞いたことがある。仕方がないからだいぶ字幕を入れて補足してある。最初の字幕にはこうある。
 「原作者ドストエフスキーは、この作品の執筆にあたって、真に善良な人間が描きたいのだ、と云っている。そして、その主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だが、この世の中で真に善良であることは、白痴(バカ)に等しい。
 この物語は一つの単純で清浄な男が、世の不信と懐疑の中で無慙に亡び行く痛ましい記録である」。
 戦後の札幌が舞台になるので、主人公の青年(森雅之)は戦犯にされ死刑にされそうになったため、何度もテンカンが起こって、その結果バカ(ちなみにワードでは「はくち)と打っても白痴はでてこない、差別用語とされているからだろう)になってしまう、という設定である。ドストエフスキーの場合は読み返してはいないので記憶によるしかないが、キリスト教の聖者のような人物が念頭にあったのではないかと思う。そこらあたりは、黒澤さんならすっ飛ばしたにしても差し支えはあるまいが、わが家の息子のように純粋無垢な人間を知っている筆者としては、いくら森雅之が好演したにしても、どう見たって「わざとらしい」としか思えない。もうひとりの主要人物を演じている原節子も「白痴の青年」のよき理解者ということになっているが、これも無理やり演じている感じで、見ているほうもつらいだけである。ずっとそんな調子だから、緊張感はあるものの疲れるだけの映画でしかない。もちろん一所懸命に作られたということは、誰が見ても分かるが。この映画を見直していて、昔小林秀雄が『ドストエフスキーの生活』は完成できたが、作品論のほうはキリスト教が分からないと理解できないと言って、途中で放棄したことを思い出した。ただ記憶によると、『白痴』については書いていたと思う。
 1952年の『生きる』は傑作だということになっているようである。佐藤氏の言葉を引いておく。
 「衆目の一致するところ、これは黒澤明の最高の作品のひとつであろう。癌であと半年しか命がないと知った平凡な男が、生き甲斐を求めてちっぽけな公園を作ることに全力をそそぐ、この小さな出来事のなかに、黒澤明は、親子の断絶、官僚主義の批判、などの問題を盛り込みながら、人間にとっての真の生き甲斐はなにか、という重大な問題を提出する」。
 「最高の傑作のひとつ」とは筆者にはとても思えない。マジメさ以外になんのとりえもなさそうな役所の市民課長(志村喬)がどうやら胃ガンらしいと知って、役所を休んでは遊びまわっている。つまり「のたうち」まわっているわけである。ガンに関してはほとんど手の打ちようのなかった時代の話である。面白くないからと、役所をやめてしまった若い女性(小田切みき)をしきりに呼び出しては話をしたがるので、嫌がられた市民課長は、「なんで君は、そんなに生き生きしていられるんだ」といった質問をする。女性の答えは、自分の作っているゼンマイで動くウサギの人形を動かしたあげく、こんなものでも作っているから元気にしていられるんだ、という意味の返答をする。この返答がきっかけとなって、課長は「生きる」とは、「何かをする」ことだと気づく。そして、それまでたらい回しにされて一向にらちのあかなかった公園作りを、役所の縄張り主義を乗り越えて、なんとか成功させる。
 ただ課長の葬儀の席で「官僚主義批判」をやることにしているのはいいけれど、エンエンとやられてはウンザリしてしまう。あんなに長々とやる必要などどこにもないではないか。あそこらあたりをもう少し簡潔に仕上げられていれば、「傑作」になっていたかもしれない。

2006年4月下旬

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