望郷の丘にて






朝鮮からの日本への渡航者は1930年代の末から急速に増え始め、終戦の年1945年には43万人にものぼった。完全な強制連行が実施されたからである。そのため、終戦直後の在日朝鮮人は236万人にも達した。その大多数の人々は終戦後、故国へ戻ったが、故国へ戻れずそのまま異郷の地で最後をとげた人も多かった。 特に戦争中の朝鮮人は日本では人間扱いされていなかったこともあって、炭坑や危険な土木工事現場などで不慮の死をとげても朝鮮の家族に連絡もなく、そのまま葬られてしまった者も多い。 ふるさとに帰れないまま異郷の地で亡くなった人々を埋葬する墓地が、韓国の「国立望郷の丘」である。




望郷の丘の一番上、見晴らしの良いところに無縁仏の合同墓地がある。主に日本の各地域ごとに建てられていて、たとえば左の写真は一番手前が「長崎県」、右の写真は一番手前が「山口県美祢市」と読める。
今でも、朝鮮人の方の人骨が日本の各地で発見されてはここ望郷の丘に埋葬されたという新聞記事を読むことがあるが、しかしここに埋葬されることもなく、今なお遠い異郷の日本の暗い地底で眠っているあまたの骨があることを思う。



上の二つの碑文はぜひ読んで頂きたいと思います。それぞれ写真をクリックすると拡大画面になります。



近所の子どもたちが赤ちゃんの子守りでしょう、この広い望郷の丘に散歩にきていました。緑もいっぱいあるし、さわやかな風が吹きすぎるこの地でゆっくりと安らかにお休み下さい。

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