柳寛順の家から独立記念館へ






3・1独立運動の時に獄死した朝鮮のジャンヌダルク柳寛順(ユガンスン)の生家。
並川事件と呼ばれる惨劇の中で父は憲兵の銃弾にあたって死に、母も斬殺された。目の前で両親を殺された寛順は、最後の最後まで日本に抵抗し続けた。彼女の最後の言葉は「日本は必ず亡びる」だったという。


柳寛順の生家に行ったあとで、柳寛順記念館にも行きたかったが、道路工事で通行止めとなっていて進めなかったため、予定を早めてそのまま「独立記念館」に向かう。
独立記念館はごらんのように広大な敷地の中にゆったりと作られている。
これは、独立記念館前の民族の塔。


ここは日本の侵略と、それに対する抵抗運動を中心に作られているので、日本人はあまり来ないようだ。(日本人が一番来るべき所だと思うのだが。)
歓迎されないと思っていたが、同じ見学者の人々が、我々が日本人だと知ると「本当によく来てくれました」と本当にうれしそうに言ってくれた。やっぱりうれしかった。


上は民族の館を外から見たところで、右の写真はその内部、その迫力に圧倒される。
この民族の館を出ると、たくさんの展示館が並んでいる。館内は撮影禁止ということで、館内の様子を載せることが出来ないのは本当に残念である。もちろんここに来て自分の目で見るのが一番いいのだと思う。


展示館は全部で7つある。「民族伝統館」「近代民族運動館」「日帝侵略館」「三・一運動館」「独立戦争館」「臨時政府館」「大韓民国館」の七つ。近代民族運動館から独立戦争館までの4つが、近代の日本の侵略とそれに対する抵抗運動を扱っている。
本来私たちが知らなくてはならないことばかりだが、自分たちの無知を存分に思い知らされた。


今回は7人のメンバーで行ったのだが、日本語の出来る説明係が我々にずっとついて説明して下さり本当に助かった、ありがとうございました。
館内の展示品の説明も、ハングルはもちろんのこと、あと英語、中国語、日本語が併記されていて、とてもわかりやすかったです。
右はたくさんの太極旗がひるがえるメインロード。


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