小林政広『春との旅』(2010)

 画面が始まって増毛(札幌の北)の海から海岸のほうへカメラが移動しているところを見ただけで、これは傑作になるなという予感がした。もちろん出だしの画面が良くとも失敗作になる映画はいくらでもある。しかし、いい監督の出てくるのを何年待ったのかを思えば、いい作品になってほしいという強い願望が出てきて当然だろう。
 しかし三回続けて見て、なんかおかしいなと思った。ほとんどが岩手県が舞台なのにいわばかけらも東北弁は出てこない上、とことん徹底した人情映画だったからである。まるで昔の「私小説」のように狭い人間関係に終始していたからである。多分小林政広監督(1954-、原作者でもあり、シナリオライターでもある)の周囲に似たような人間関係があり、それを写すには宮城県あたりがいいということになっても、東京生まれらしいから、東北弁の出てくる幕はなかったのだろう。
 増毛の海岸の近くの家から脚の悪い老人忠雄(仲代達也)が飛び出してくるところからドラマは始まる。孫娘の春(徳永えり)が後を追って出てくる。春は学校の給食係をやりながら、祖父と一緒に暮らし五年くらい前から面倒をみてきた。ところが学校は廃校となり、失業する。それで、田舎ではなかなか仕事もないから、東京へ出てアパートを借り、仕事を探したい、と言ったものだから、祖父はそれなら誰か兄弟の面倒になるから、と家を飛び出したようである。春にしてみれば、脚の悪い75をすぎた老人を放り出すわけにもいかないから、一緒について出たということらしい。
 まず最初に訪ねたのが、立派な家に住んでいる宮城県の長男(大滝秀治)のところだが、だいたいあまり仲がよくないところへ、不意に訪ねて行ったので、兄の方もあまり色よい返事はしない。主人公の忠男は昔から独りよがりで、16歳の時北海道のニシン目当てで家を飛び出し、やがて父親もあとに続くことになったが、一時は景気も良かったものの、いつまでもそれにしがみついていたのが良くなかったと説教になる。しかし、説教はしたものの、別れのとき実はこの兄は息子夫婦の言いなりで、まもなくやっと当たった公立の養護老人ホームに夫婦(妻は菅井きん)そろって入ることになるそうだから、あまり有り難い身分ではないことが明かされる。
 つぎはやはり宮城県の、弟のところだが、電話も通じないし、住所まで行ってみてもそこのアパートには弟の家はない。内縁の妻がいて、それが弟の頼みで毎年年賀状を書いていたが、実の弟はやくざのようで、義理のある人の身代りで、もう8年くらい監獄にいるという。ここもまた哀れな状態だというわけである。
 次は気仙沼あたりだろうか姉(淡島千景)の旅館だが、しっかりものの姉は、忠雄が春に依存しているのは、両方のために良くないと言い、春に後継ぎを覚悟で修業をしてみたらと、勧める。姉は夫に死なれてから苦労をしていて、旅館も人手に渡りそうになったのをやっと取り戻して普通の生活ができるようになった。子供のいないらしい姉は姉でさびしいものもあって、春に修業を勧めているらしいが、春は東京行きの気持がさめてきて、やはり忠雄と暮らしたいと思うようになってきているので、申し出を断る。
 最後の弟(柄本明)は仙台にいて不動産屋をやっているはずだったが、電話も通じなければ、住所には建物も建っていない。商売がうまくゆかず、近くのマンションを借りて生活している。この弟はろくに話も聞こうともしないので、距離10センチくらいのところに互いの口をもっていき、「バカヤロウ」とののしり合うだけである。弟の嫁に言わせれば、これも一種の親愛の情だろう。これで兄弟訪問は終わったが、春が父親に会いたいといいだすので、訪問がさらに一回増える。
 春のところは、だいたいがややこしい家庭で、5年ばかり前に母親は自殺し、父親は別の女性と結婚したので、春は長く父親に会っていない。生活が不如意で母がバーかなんかに勤めているうちに浮気をしたのが発覚したのが、母親の自殺らしいという程度のことは、春は知っている。会ってみると、父親は祖父のことが好きなようだし、嫁も母子家庭だったので、祖父に好意的で、良ければ四人で一緒に暮らそうという提案をする。やっと良い話に出会えたが、やはり血のつながりの点で遠慮が出たのか、ふたりはこっそり逃げ出してしまう。
 電車に乗ると、祖父は春にもたれて眠っているが、やがてくずおれ、床に倒れこんでしまう。脳梗塞でも起こったらしい。即死である。老人の身で神経を使う掛け合いが続いたのが、体に響いたようである。即死の場面で映画は終わっているが、春は悲しい反面生活しやすくなるだろうなと思うと、見ている方もほっとする。
 仲代達也は、自分の出演した映画の中で、五本の指に入ると言ったそうだが、久しぶりにいい日本映画を見られたということは、この映画以前のものの中にもいいのがある可能性があるということであり、欧米人だから年を取っていいのが撮れなくなるといったこともなさそうだから、今後の楽しみが増えたということである。

2011年5月上旬

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