スティーブン・スピルバーグ『太陽の帝国』(1987)

 スピルバーグ(1946-)の作品では、『シンドラーのリスト』(1993)のほうがもっと完成度が高いだろうが、J.G.バラード原作の半自伝的小説を映画化した『太陽の帝国』を紹介することにする。理由は単純で、日本びいきの少年、とくに「零戦(零式戦闘機)」と「勇敢な日本兵」を愛するイギリスの少年が主人公で、こういう少年が主人公のアメリカ映画は、他にはないだろうからである。この作品は、アカデミー賞の六部門にノミネートされたが、一つも取れなかった。しかし、1987年には、作品賞などを『ラスト・エンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督)が取ったが、『太陽の帝国』が取っていても少しもおかしくはないということを、今回気がついた。もっとも今『ラスト・エンペラー』を見直す気がない以上きちんとした比較にはならないことは、断っておく必要があろう。
 舞台は中国で、時代は1941年、中国との戦争はすでに始まっており、真珠湾攻撃直前の時機である。上海のイギリス租界で生まれ育った飛行機好きの少年ジェイミー(通称ジム)(クリスチャン・ベール)は、敵国となりそうな日本の零戦が大好きで、日本の勇敢な兵士が大好きという、たぶん少数派の10歳くらいの少年である。われわれの少年時には鬼畜米英というほど憎まれていたのだから、米英が好きな日本の少年がいたとはとても思えない。ところがジムは『翼』というコミック雑誌を見て、零戦が好きになったらしい。映画が始まるときには、日本兵は上海を取り囲んでおり、日本海軍は上海港を占拠している。そして進攻が始まり、租界の人間たちはジムを含めて港へ向けて逃げ出すのだが、ジムは途中で両親とはぐれてしまい。自宅に戻っているが、両親は現れず食べ物もなくなるので、租界の中を自転車でうろうろしているが、そのうち日本軍の行進に出会うと、愛する日本軍の捕虜になりたくて、すぐさま両手を上げて「降伏します」と何度も言うが、子供だから相手にもしてもらえない。
 そのうち租界の外国人はすべて捕虜にされ、1945年には蘇州に送られ、飛行場作りを手伝わされることになる。周知のようにこの年は、日本が敗北する年である。収容所の中では、繊維会社の社長の息子にしては、こっけいなほど巧妙に立ち回り、ブツブツ交換の仲介人のようなことをやり、結構利益をあげているようである。もちろん背後にはベイシー(ジョン・マルコビッチ)という船員崩れのような男(租界を流浪中に知り合う)がいて、いろいろ手引きをしてくれる。
 収容所には、やはりある程度の日本兵がいて、そのうちの特攻隊の少年(片岡孝太郎) がジムと同じ趣味で零戦のおもちゃを飛ばしているのを手助けして仲良くなったり、収容所にいる米国人の医師の軍とのトラブルをジムが仲介して、収拾をつけたり、ジムが無茶をして収容所の外に出て、キジを捕まえようとするのを日本兵に見つかりそうになるのを、先の特攻隊の少年に助けられたり、といろいろあるが、戦局はどんどん進み、日本軍の敗色がしだいに濃くなり、収容所から特攻隊の零戦が三機飛び立つことになる。もちろんジムはそのことを知っていて、ウェールズ語の子守唄”Suo Gan”(「わが子よ母に抱かれて眠りなさい」という歌詞を含む)を歌って送り出す。特攻隊側の歌う歌はもちろん「海ゆかば」である。しかし、飛び立つのとほとんど同時に零戦は撃ち落とされる。そして米軍のP54が収容所の日本軍人の居住家屋を攻撃する。ジムにしても、飛行機好きなのだから日本びいきばかりもしてはいられず、仲間の飛行機にもエールを送ることになる。日本の若い友人の特攻兵も飛び立つことになったのは、日本の敗色濃厚になった時であるが。友人の零戦は故障で飛び立てない。その時にはジムの心は零戦を離れてしまったようで、”Suo Gan”は歌わない。飛行失敗は、だいたいそれ以前から食べ物も不足しているので、収容所が南へ移動しようとしている時である。そして、その途中でそうとは知らずに長崎に原爆が投下された時の閃光を見てしまう。それが新型爆弾の光だったとわかるのは、敗戦時の天皇の玉音放送を聞くことによってである。ジムは、南下の途中、自分の宝物である、両親の写真、『翼』というコミック雑誌、それから零戦の模型などの入った小型のスーツケースを海に捨てることで、「太陽の帝国」への別れを告げる。日本敗戦後は、米軍がいろんな食糧を落下傘で投下するので食べ物の不自由はないが、たまたま例の特攻隊の少年と出会い、マンゴーをもらったりしている時、少年兵が刀をもっているので、以前の仲間ベイシーが見ていて誤解し、少年を撃ち殺してしまう。戦争は終わったのにと少年は文句を言い、蘇生させようとするが、所詮無益である。もう一つの「太陽の帝国」との別れである。
 そして、最後は両親との再開だが、日本びいきたらしく、護衛の英国兵と出会うとつい「降伏します」と言ってしまう場面は、少年の日本への思い入れがどれだけ強かったかをうかがわせる。あまり多くのことに耐えてきたので、両親と出あっても、最初は嬉しそうな顔ひとつしない。しかし、母親を抱擁した時、まるで大人のように振舞ってきたジムは、安堵の瞳になり、目を閉じてふたたび子供に帰る。
 ひさしぶりに見なおしたときには、終結部が長すぎると思ったが、理解できていないところもあると思ったので、もう一度見てみると、それぞれのポイントとなる部分が、きちんと終わりの部分でケリをつけてあったので、そのため終わりの部分が長くなったのだということが、納得できた。ベール少年は好演だった。

2011年4月上旬

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