ドゥニ・アルカン『みなさん、さようなら』(2003)

 ここ数カ月体調のせいで、月に一度しか書いていなかったが、別に病気が治ったわけではないが、まずまず調子がいいので、今月は二度目である。もっとも薬の副作用の結果足がしびれて、散歩しょうにも30分が限度というなさけない状態がもう10カ月も続いているが、薬を呑んでもきかず、どうも「日にち薬」しかないらしい。今度の映画の監督のアルカンさんは1641年カナダ生まれで、筆者と一年ちがうだけだし、今回の映画の主人公は末期ガンの患者だから、こちらと同病でなにか因縁めいたものを感じて書くことにした。とはいえ、こちらはまだ末期になるにはしばらく時間がかかりそうである。末期の方へいかないように努力しているのは、もちろんである。
 アルカンは寡作の人で、これまで見たことがなかったが、この映画はアカデミー外国語映画賞(作品賞)なんかをとったらしいというので、見ることにした。特に感心したわけではないが、映画作りのテクニックは十分心得ている人のようなので、上記の因縁もあることだし、ここしばらくは古い映画のことばかりだったので、比較的新しいから、これにしたのである。
 カナダのどこかの地方の大学教授が末期状態のガンになったので、ロンドンで証券会社に勤めている息子に、母親から電話が入る。父親も最後だから、すこしは楽しい最後を送らせてやりたい、とのことなのである。しかし、どだい好色で大酒のみの父親に息子は好意をもっていない。むしろ憎んでいる感じである。父親の悪癖のせいで家庭内はメチャクチャだったからである。しかし、ほうっておくわけにもいかないので、しぶしぶカナダまで婚約者を連れて行くが、着いてそうそう喧嘩である。
 母親が父親を憐れみ、父親が息子のおさないころ、どれほど息子を可愛がりよく面倒をみたかという、息子の記憶にないことを、こんこんと話して聞かせたせいで、息子はひと肌脱ぐ気になる。もうひとり妹もいるが、こちらは船で海に出たまま、長期航海中なので、ビデオで連絡をとることくらいしかできない。
 息子は父親よりよほど収入があるらしく、収入も利用したりして、相部屋に入っていた父親を、病院の都合で目下閉鎖中の一人部屋に移すし、親戚や外国にいる友人たちまでにも声をかけて、見舞いに来てもらうように仕向ける。それも中途半端な時間ではなく、何日間にも及ぶほどである。学生たちもやって来たりするが、多くはアルバイト料つきで来ているのである。病人は1950年生まれとなっているから、まだ60代の熟年で、親戚や友人たちも、ほぼ同世代で、色好みの親戚もいたりするので、そうとうきわどい熟年向きのワイ談が続々出てきて、うっとうしくなりそうな話を、にぎやかな方向に向けている。
 しかし、そうは言っても問題は末期ガンの患者である。どれほどのものか経験がないから分からないが、相当な痛みがあるようで、病院の薬では十分におさえきれないのを見ている息子が、またもや金の力で上物のヘロインを手にいれようとする。たしか親戚の娘が常習者で、その方面から手に入れられることになり、死のときまでは、一応一見落着のようだったが、苦痛の場面は詳しくは描かれないが、父親は早くあの世に行きたいようである。要するに「尊厳死」の問題が最後にでてくる。「尊厳死」にはいろいろ問題もあり、意見も分かれているようだが、一番問題になるのは、末期ガンの場合だろう。しかし、これは映画なので、理屈っぽい話はいっさいでてこない、父親が早い死を望んでいるようなので、まず湖のほとりの親戚の別荘を借り、ヘロインを多量に集めて、点滴にヘロインを混ぜて「尊厳死」させるという段取りになる。病院の親しい看護婦にもくわわってもらい、点滴をやってしまえば、あとはヘロインを加えるだけなので、素人でもできる。この通りに話は進行し、集まっていた親戚や友人に「みなさん、さようなら」というタイトルが実行されることで、この物語は終了である。船の上の妹の方は、急に戻ってくるわけにはいかないようなので、お別れのビデオを父親は、意識を失う前に見ることになっている。
 カナダでは、この「尊厳死」をこっそりやっているところをみると、法的には禁止されているようだが、こういう映画を作っている以上アルカン監督は、「尊厳死」に反対しているわけはないだろう。いろんな賞までもらっている以上、映画の専門家を含めて、積極的に反対する人は少ないようである。現に、末期状態になると、苦痛を伴う治療は拒否する人が増えているというのは、日本の新聞でも二度ばかり見た。
 こういうテーマの映画は作りにくいのではないかと思うが、さすが老練の監督らしく、そこそこに話を締めくくっていた。西洋人は、老齢になるとボケる監督が多いが、しっかりしていたのは、高齢者には身近なテーマだったからからもしれない。もっとも、この映画しか見ていないので、これを除けばとやかくいう資格は筆者にはないのだが。

2010年10月下旬

映画エセートップへ