M.カルネ『天井桟敷の人々』(1945)など

 前回はE.ロメールの『冬物語』がテーマだったが、今回もフランス映画になってしまった。他の国のにするつもりが、取り上げる気になれず、ここに落ち着いたのである。前回のは比較的新しかったが、今回は古典である。まだ目の手術はすんでいないので、今回も書くのに苦労しそうである。
 マルセル・カルネ(1906-1996)は16本の映画をとっているが、筆者の見たのはたしか7本だが、ビデオを調べてみると、「天井桟敷」以外では、『ジェニイの家』(1936)、『北ホテル』(1938)、『悪魔が夜来る』(1942)、『夜の門』(1946)、『港のマリィ』(1949)しか出てこなかった。おまけに目が良くないせいもあるようだが、見直しの一回目のときには、どの映画も感心しない。『天井桟敷』はまずまずと思ったが、後のはなんかいくつかの短編を組み合わせて作ったような感じで、面白いどころか、一向に感心しない。『天井桟敷』をもう一度見直してつまらなければやめようかと思っていたが、二度目の見直しでやっと書く気になった。
 第一、画面がずいぶんしっかりしていて、見ていてもも気持ちがいい。これは代表作だけにリブリント版だからだろう。テーマは『冬物語』と類似の恋物語だが、こちらはハッピーエンドになりそうにもない幕切れである。それにしても、映画を見なければ、タイトルの「天井桟敷」というのも分かるまい。ヨーロッパの劇場は一回の平土間の上の周囲の部分がボックスになって左右と後ろを取り囲んでいる。ボックスにも大きさがあるようで数人程度座れるようになっている。平土間ももちろん座れるが、天井桟敷という四階くらいにある桟敷は立見席で、値段もずいぶん安い。金のない芝居好きの連中のたまり場のようなものである。役者が主な登場人物だから、こういうタイトルになったのだろうが、第一部では主人公の役者たちが、芝居の世界では「天井桟敷の人々」のようなものだったから、二重のタイトルになっているようである。
 パントマイム(無言劇)の劇団の座長の息子は脳なし役者と思われているが、やくざっぼい人間とも付き合いのあるような蓮っ葉な女性に、偶然がきっかけで恋をすることになる。この女(アルレッティ)は、この役者のバチスト(ジャン・ルイ・バロー)を知り合いの男の一人としか考えていないので、バチストの純粋な恋情を知りながら、純粋さゆえにつつましい行動しかとれないバチストを無視して、何人もの男とつきあっている。ちょうど失業中だったので。バチストの劇団につとめているから、彼女の男性関係は、バチストにつつぬけである。だから言い寄ることは控えているが、恋情がさめることはなかった。そうこうしているうちに、女性はやくざがらみの男の企てから、犯罪の疑いをかけられてしまい。芝居小屋で言い寄られていた公爵の権力を利用して、疑惑を逃れ、公爵と一緒にパリから消えてしまう。そこまでが第一部の「犯罪大通り」である。
 それから数年後に、第二部の「白い男」は始まる。パントマイムで有名になったバチストは、パントマイムのため顔を白塗りにするから、「白い男」なのである。もとはバチストと同じ劇団にいて、例の女性の男でもあったもう一人の古典劇の好きだった男も別の劇団の代表役者になっていて、両人の劇場は常に満員という盛況ぶりである。例の女性はパリにもどっていて、毎晩バチストのパントマイムを見物している。この女性はパリを離れたとたん実はバチストが好きだったということに気づく。もう一人の役者が決闘でけがをしたりしたため、暇だからバチストの無言劇を見ようとするが、席は満員だが毎日ボックスにひとりで来る女性がいるからということで、頼んでもらうと、相手は久しく合えなかった女性だった。またいいよろうとするが、女性の念頭にはバチストしかない。役者が楽屋に会いに行くからというと、女性はパリにしばらくいて、またパリを離れるから、一度あいさつにきてほしいという伝言をする。それを聞いたバチストは芝居中なのに会いにいくが、女性の姿はない。実はバチストの妻がほかから同じように情報を知って、自分幼い子供を使って、自分たちは結婚をして、子供もいて、三人仲良く暮らしていると、女性に伝えさせたからである。そこで以後はバチストのところに現れない。
 昔の恋情がよみがえったバチストは、昔馴染みのホテルにとじこもり、仕事をしようともしない。そして悶々とした暮らしのなかで、古典劇の役者の芝居を見に行ったとき、偶然女性と出会い、一夜をともにするが、バチストの女房は、バチストの居場所を知っていて、訪ねて行くので、事実が判明してしまう。女性のほうはバチストの家庭を壊したくないので、ちょうどお祭りの日らしくて、にぎやかな人ごみに姿を消すことができた。バチストは必至だが、どうにもならない。バチストの細君は、昔馴染みの劇団員でずっとバチストが好きだったし、その女性への恋情も知っている。だから先手を打ったりもしていたわけである。
 そして、以後は女性が現れる以前の生活に戻りそうな感じで映画は終わっている。純情な男の純粋な恋物語だったというわけである。
 やはり映画は見るもので、語るものではない。ずいぶん省略したのにながくなったが、長編映画のストーリーの説明などやるものではない、と思った。
今はどうだかしらないが、昔は世界映画のベストテンに必ず入っていたらしい。バロー好演である。

2010年4月下旬

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