ケン・ローチ『麦の穂をゆらす風』(2006)

 ケン・ローチ(1936-)という映画監督がいるということは知っていたが、アメリカ人だとばかり思っていたし、映画を見たことがない監督の映画は、大きな映画祭で大勝を取ったのを優先的に見ることにしているので、ケーブルの映画欄は、のぞいていてもたぶんそういうのを一本程度見て、評価が低かった人だろうと思っていた。こないだ『麦の穂をゆらす風』という映画がカンヌのパルムドールを取っていることが分かったので録画しておいたが、別段何の期待もしていなかった。カンヌの大勝でも、最近なら5,6年に一本でもいいのがあれば、良しとしなければならないような現状だからである。録画が少したまったので、この映画ものぞいたが、驚いた。ケン・ローチはイギリス人で、左翼だとのことである。イギリスの左翼というのは見当がつかないが、筆者より年配だし、映画の方もしっかりしたもので、緊張しながら見た。テーマが1920年のアイルランド独立運動だったからである。モデルは山ほどいたはずだから、こうした登場人物たちがいたことはほぼ確実で、まるで現実を突きつけられているような迫力があった。700年ほども英国人たちによって植民地化かれ、アイルランド人たちは農奴だった。そして英国人のみが豊かという状態が続いていたのだから、アイルランド人たちの英国人たちへの憎悪はよく分かるし、そして銃を手に入れて英国人たちに抵抗するアイルランド人たちへの、英国人たちの憎悪との対立が、この映画のすべてのシーンに染み渡っている。
 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』に「愛蘭土紀行」というのがあったことを思い出し、読み直し無知を補填した。二巻もあるので、まだ全部は読んでいないが、この稿を書くのに必要な知識は手にはいったので、すでに始めている。中でデビッド・リーンの『ライアンの娘』(1970)への言及があったので、アイルランドものだったのを思い出し見直したが、時代はローチのとほぼ同じだが、少し前の第一次世界大戦中らしいし、英愛蘭紛争が直接的なテーマではないにしても、両者の対立は十分に伺える映画だった。アイルランド出身のジョン・フォードの『静かなる男』というアイルランドものもあったが、これは録画が見つけだせない。
 『麦の穂をゆらす風』というタイトルは、恋人を英国軍に殺された女性が、恋人をいたむ歌らしい。ケーブルの解説では男女が逆になっていたが、どうも女性でなければ具合が悪いのではと思う。映画の中でも息子を殺された母親が歌っていたし、「思い出せは、切なくなるだけだから、これからはアイルランドに愛情をふりむけよう」という大意は女性向きのものと思う。古い哀歌らしい。
 アイルランドで医者の資格を取り、ロンドンの大病院に就職しようとしていたアイルランドの青年が、出発間近の両国民の争いを見て、今までの「抵抗をしても無駄」、という考えをすて、IRA(アイルランド義勇軍)に参加することにする。彼の兄は義勇軍の名だたる闘士である。ゲリラ戦による激しい抵抗が何度もくりかえされるが、裏切り有り、協力もある入り乱れた戦いの後、ついに英国軍は撤退し、アイルランドは大英帝国の自治領となるが、自治領は独立した共和国家ではなく、いわば英国の属領である。アイルランド側は、一応この提案を受け入れることにするが、受け入れ賛成か反対かで、今度は内乱となり、弟の医者のほうは少数派ながら過激で抗戦を唱え、かつて過激派の兄は妥協しようとする。これ以上死者を出したくない兄は、弟を捕え弟に仲間の名前を言い、武器の隠し場所を言うように促すが、弟は最後まで、口を割らないので、ついには涙ながらに見せしめの銃殺を行うということになってしまう。
 普通なら長年の植民地化が一応終わったのだから、しばらくは妥協しておこうと思いそうなものだが、例えばインドでもそうだったらしいが、言葉や服装などの文化を取り入れることも禁じられていたし、現地の女性と結婚でもすれば大逆罪だから、英国が植民地と同化するなどということは考えられない。司馬さんのこうゆう説明を読んでいたら、昔たしか会田雄治という京大の歴史の先生が、英国軍の捕虜となった時の経験を書いた『アーロン収容所』という書物を読んだことがあったのを思い出した。司馬さんの例と同じように陰険なもので、反抗的な捕虜をいじめるときは、みんなの前ではやらず、誰もいないところでなぐったりけったりするそうで、それも並大抵のことではなかったそうである。後難のふりかかるのを恐れてのことだろうが、一事が万事だったようである。アイルランドほど統治の長かった場所は他にはなかったろうから、怨みは骨髄に徹していただろう。くやしい気持ちが十分分かる映画だった。ちなみに、アイルランドが共和国となるのは、第二次世界大戦後のことである。
 ついでにもうひとつ司馬さんの受け売りを述べておくと、アイルランドはあまり肥沃ではないが農業国家で、三百数十万は養えるらしい。しかし貧しいが、人口が増えれば移民するしかない、もちろん英国にも何百万か住んでいるし、スコットランドやウェールズは、もともといたアイルランドと同じケルト人が住み着いていて、こちらは英国でも適当にやれていたらしい。こちらと北アイルランドはアングリカン・チャーチと宗教が共通だか、アイルランドで一般的な宗教はアイリッシュ・カトリックだから、このことも大問題である。
 ケン・ローチさんのものはこの映画以外はどうやら一本も見ていないようだから、筆者の眼力を信じれば、これからは他の映画も期待をもって見れそうである。

2009年8月上旬

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