A.ヒチコックの『サイコ』(1960)年など

 アルフレッド・ヒチコック(1899-1980)と言えば、通常サスペンスの巨匠とか、「神様」とかといわれているようだが、筆者はどういうものか、あまりその方面のことを意識しないで、見ていた。筆者がものごころつくころ全盛期だったということもあったし、現に面白かったので、映画館に通ったものである。
 今回例によって何を書こうかと迷っているあいだに、ケーブルで『めまい』を見直して面白かったので、何かヒチコックについて書こうとして、かなり映画を見た。そして、以前に書いた『裏窓』と『鳥』とが、最良の部分で、サスペンスの「神様」といわれるほどサスペンスものが映画として優れているとは思えないと、気づかされた。どうもストーリーを追いかけるのに急で、人間がふくらんでいないから面白くないようである。上に挙げたのをのぞけば、筆者が見て記憶のはっとりしているもののなかで、かなり優れているのは『サイコ』(1960)ほか数編ではないかと、愚考するようになった。ただし、筆者はヒチコックの全作品を見てはいないし、かなり晩年のものでも二本ほどは見ていないことを付け加えておかないと、アンフェアになる。
 今回たまたま『ヒチコック・天才監督の横顔』(テッド・ハイムズ、1999)というテレビのドキュメンたりーらしいものがビデオに入っていたのでそれを見て、いろいろ参考になった。そもそもサスペンスのたぐいの映画は軽く見られていたそうで、それをしっかりした映画になりうるということを証明したのが、ヒチコックだという話である。だいたい今のアメリカ映画の中堅以上の監督たちが語っていたが、遺憾ながらこの人たちのなかで、筆者の感心するような映画を作った監督はいなかった。ある出演者によれば、ヒチコックはサイレントの時代からトーキーの時代にかけて活躍した映画人たちの中で、最大の監督だと言う人もいた。そんなことをいわれると、身びいきがすぎるぞ、チャップリンはどうなるのかという疑問を抱いた人も多かったろうが。ともかく出演していた監督たちは、みな特に50代以降のヒチコックを絶賛していた。ただ、やはり最晩年のものはいただけないのが多いということだったが。
 本稿を書こうとして、筆者は『サイコ』、『マーニー』(1964)、『フレンジー』(1972)を中心とし、参考のために5,6本のそれ以前のものも見たが、参考の中では上に述べたように『めまい』をのぞけば感心した作品はなかった。ただし遺作の『ファミリー・プロット』(1976)のビデオは、わが家にはなかったが、悪評のようだから、気にしないことにした。
 結局『サイコ』しかないなと思ったが、これはプロデューサーのセルズニックの干渉をきらって、モノクロながらわずか100万ドルの制作費で、大金をかせいだことでもゆうめいらしい。筆者は大学生のとき見たが、精神分析のことを良く知らなかったので、初回目はよく分からなかった。二度目にみて初めて理解できた。今回見直すと、精神分析の患者の典型のひとつを描いたような話である。ジャネット・リーをしばらく使う以外スターを出演させず、費用を節約している。J.リー演じるサラリー・ウーマンは恋人との仲がうまく進行していない。たまたま会社の大金を銀行に預けるように依頼されるが、何を考えたのか、その金を持ち逃げし、となりの州にいるらしい恋人に会いに行く途中、日が暮れて、モーテルに一泊することになる。そして、寝る前にシャワーを浴びているときに、何者かにナイフで刺し殺される。犯人は、モーテルの若い主(.あるじ)(アンソニー・パーキンス=当時無名)で、長らく母親と二人暮らしをしていたが、母親が浮気をしたので、相手と母親を殺してしまい。母親の人形をしつらえて、母親と同居しているつもりなのだが、実は時として、息子が性的に魅了される女性にであったりすると、息子自身が心理的に母親に変身し、自分が浮気した母親を殺したように、嫉妬のあまり相手の女性を殺したりするわけである。
 ストーリーだけ書けば、精神分析の本でも読めば出てきそうな典型的な患者のひとりのようである。この手の話としてはありふれているが、ヒチコックが始めて念入りな形で映画化したのではないかと思われる。そして一応成功している。
 『マーニー』も、主人公が女性に代わっただけの、精神分析的症例にすぎず。『フレンジー』も同種の人物が主人公のひとりである。ただこの映画で笑ったのは、何回も出てくるヒチコックのフランス料理に対する皮肉たっぷりでいやみたらたらな場面である。イギリス人であることの証明であることの証明を映画の中でやることもあるまいが、笑えることは確かである。なお精神分析的傾向は、その他の参考のために見た映画の中にも認められたし、そもそもサスペンス映画にしてからが、殺人者を扱うことが多いわけで、広く見ればやはり正常でない人間がからんだ物語だが、晩年にいたって、典型的な精神異常を描きだすことで、ヒチコックは彼の映画の本来の居場所を見つけたような感じがしていたのかもしれない。もちろん十分手を加えれば、病例の典型も典型らしくないものに変化させうる可能性があったとしても、晩年のヒチコックには、もうその力はのこっていなかったようである。
 先の引用のようにサイレントからトーキーにかけての最大の監督とはとても思えないにしても、やはり筆者にとっても、興味深い映画を何本も残してくれたなつかしい人であることに変りはない。今後もう一人のヒチコックが現れることは、決してないだろう。

2009年6月中旬

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