小津安二郎『東京物語』(1953)

 11月末には成瀬巳喜男の古い映画を五六本ほどのぞいたところで、肺がおかしくなり一ヶ月ほど入院するはめになったことは、先日書いた。また成瀬に戻るのもなんだか気が重いし、どうしようかと迷っていたが、二階の廊下の本立ての上にあるビデオを、他の用事でのぞいていたら、どういうものか『東京物語』もあったので、今月はこれを選ぶことにした。本職の映画評論家とはちがって、「にわか」評論家だし、たくさん見だしたのが、五十前だから、覚えていることより忘れていることの方が多いという、なさけない体たらくである。あまり変わりばえのしないことばかり書いているので、少しうんざりしているが、半病人の暇つぶしくらいにはなるだろうということで、なんとかつづけている。ここまで来たら、肺にあけられた穴のあたりが少し痛み出した。まだかさぶたがくっついているのだから、どうもワープロすら怪しい状態である。
 小津さんは1903年生まれで、1963年の誕生日になくなっているので、『東京物語』が発表されたのは、ちょうど50歳のときだということになるだろう。ローアングルは相変わらずだが、まだモノクロの時代である。筆者の好みからするとあまり好きとはいえないが、誰に見せても傑作だというのは間違いのないところである。
 田舎の子供が東京の大学に行き、卒業後は、東京で職に就くというパターンが頻繁になり始めたころの話しである。尾道に住んでいる両親が、ながらく会っていない子供たちに会おうと決心して、暑い盛りに準備をしているところから映画は始まる。父親の笠智衆はもう70を越しているし、母親の東山千栄子も70に近い。なにしろ広島あたりから東京まで15時間もかかっていた時分だから、大旅行ということになる。地元の小学校の教師をしている末っ子の香川京子は留守番である。
 大旅行の果ての東京で待っているのは、長男で医者になっている山村聡の家族、美容師になっている長女杉村春子の家族、それに戦死した次男の嫁でOLの原節子である。なお途中の大阪には、国鉄職員になっている三男の大坂志郎 もいる。
 久方ぶりに会って、喜び合ったところまではいいのだが、それぞれにはそれぞれの仕事がある。特に長男と長女は客商売だから、時間を自由に使えない、それで長女のところにいるときには、上の二人は金を出し合って熱海に二三泊してもらおうと計画をたてるのだが、なにしろ二人は老人で、早寝の癖がついているから、夜中まで騒がしい旅館街に逗留しているのは、苦痛なので一泊すると逆戻りである。早く戻られると困る日に戻ってくるので、二人は宿無しのようになり、母親は一人なら泊まれそうな次男の嫁のところに行くことに決め。父親は、尾道時代の友人が二人東京で暮らしているので、二人に会えばなんとかなるのではと考えたのだが、さんざ大酒を飲んだ後、真夜中に長女のところに戻るしかなくなって顰蹙を買う始末である。結局ふたりはせっかく東京まで出てきながら、楽しいおもいをしたのは、次男の嫁が務めを休んで、観光バスにつきあってくれたことぐらいしか、なかったことになる。
 翌日の夜21時の汽車で、尾道に戻ることになるのだが、戻りは母親の体調が不良になり、大阪の三男のところで二泊して、やっと帰郷である。しかし、帰郷したとたんに同居している末っ子は「ハハキトク」という電報を兄弟に送らざるをえなくなる。母親の脳卒中のせいである。親と子供たちの心理的なズレが、この映画のひとつの大きなテーマだとすれば、少し遅れて子供たちも帰郷し翌日の未明に母親が逝去する「死」という問題が、もうひとつの大きなテーマである。全体で130分の映画のうち、母親が倒れてから、50分以上がこのテーマに当てられる。
 もちろん連れ合いの父親がもっとも動揺していて当然だが、連れ合いの死後朝日を見に行って、「きれいな朝日じゃった。今日も暑うなるぞ」、が迎えにきた嫁への挨拶だが、連れ合いの死と自然の運行とを重ねあわせて、自らをなぐさめていたのでは、と思われる。
 葬儀も終わって、仕事が気にかかる長男と長女は、さっそく帰京の算段である。長女はちゃっかり形見わけの着物のことも忘れていない。三男も便乗して、大阪に帰ることにしてしまう。結局、残るのは父親と末娘と嫁の三名のみだが、どうやら嫁は四五日都合をつけて、慰め役を務める、別れの日に父親は言う。「次男の死後八年もたっているのじゃから、わしらに遠慮することはちっともない。ええとこがあったら、いつでもお嫁に行っておくれ」。「いわば、あんたは他人じゃが、そのあんたが東京でも尾道でもいちばんやさしうしてくれた。ばあさんの使うていた懐中時計を、形見にもろうてやっておくれ」(ただし、台詞は正確ではない)。
 末娘は、学校にいて、義姉の乗っている列車のことを思いやっているが、嫁のほうも運行する列車の座席でくだんの時計を取り出して、ふたを開けてのぞいている。そこまで考えてのことだかわからないが、すべての生は時計の中に、つまり時間のなかにとじこめられているのを見ているようである。
 母親が時間の外に出ていったことをすぐに忘れて、停止することをしらない時間、つまり生の中にあわてて戻っていった、子供たちも、いずれ時間の原理を思い出さざるをえまい。

2009年1月下旬

映画エセートップへ