市川崑の『ビルマの竪琴』など

 今頃息子の演奏会のことなど言うのも、おかしなものだが、今年になって一月には神戸で、三月には姫路でコンサートをやった。妻の講演が先行するが、一時間以上の演奏をするのはひさしぶりなので書いておく。講演のほうは筆者は疲れるからあまりやりたくないし、一緒に行かないと、実感がわかないので、つい書き忘れる。妻がしばらく以前に管理人さんに写真を渡したらしいので、時間がとれるようになったら載せてくださるだろう。
 もちろん、地元での30分くらいのものは、年に何回かあるが、定例化しているので、特に印象に残りにくい。それと、大分以前から思っているが、小泉内閣以来福祉予算までけづられ、ついこないだも後期高齢者の医療保険料の年金からの天引きが悪評をかったが、あれも小泉の路線のようである。あまりしっかり読んだわけではないが、物の本によると、竹中がインチキシカゴ学派とやらをそのまま取りこみ、従来のヨーロッパ型福祉社会を目指す日本の政策に水をさす方向に動いたためらしい。息子に特に地方からのコンサートの申込みが激減しているのも、福祉関係の予算のがた減りもおおきな原因のひとつだろう。年収200万以下の労働者が三分の一もいるらしいし、こんな状態では、張本人らが戻ってきてあと始末でもすべきだろうが、そんな気はみじんもないだろう。このままでは高齢者も障害者もケンノンでしょうがない。ガラにもないことを言っているのは、あまりにも日本のすべての状態に嫌気がさしているからである。

 本来の映画の話をすると、市川崑(1915-2008)さんは、すでに二月には亡くなっていて、そのことは二月の入院の時に知ったはずで、「崑ちゃん」のことはやめとこうと思っていたのに、忘れてしまって、先々月次は「崑ちゃん」だと予告してしまったので、書いている。そもそも先月の入院前に書いてしまう予定が狂ったので、だいぶ遅くなってしまった。
 「崑ちゃん」はかなりたくさんの作品をつくっているが、筆者がパーフェクトと思ったのは『ビルマの竪琴』』(1956)と『おとうと』(1960)のみだと思う。新聞には巨匠と書いてあったはずだが、だれもかれも少し立派な人は、巨匠と呼んでおけばいい、思っているらしいふしがあって、その点では横着をするなといいたい。黒澤さんが承諾しなかったので、当時の大事件『東京オリンピック』(1965)の撮影を引き受けたということもあった。まあそこらあたりまではマズマズという感じだったが、それ以後は失望を感じただけだった。才能はあるが、なんでもこなせるいわゆる職人監督的な面があり、技術的にはうまくなっていったようだが、どこかに欠点があるし、どだいテーマがあまり面白くないから、見る気がおこらなくなってしまった。やはりなくなった淀川長治さんにいわせれば、奥さんの脚本家和田夏十さんがなくなってからダメになったといっていたが、そうでもないのではと思う。生きている間にもダメなのを結構作っているからである。しかし、以後傑作は作れなかったのは確かなようである。
 リメイク(1985)版を初めて見て、ついで元の『ビルマの竪琴』(1956)を見たのは、やはり「崑ちゃん」の死がきっかけだったと思う。そしてリメイク版もかなり優れているのは、年齢から考えても技術的には上だろうが、元版のほうはなにしろ戦後七年目で、ほとんどすべての関係者が戦争体験者だから、やはり気合の入れ方が違う。監督にしてもおなじことだったろう。なぜリメイク版をつくったのかは知らない。原作はドイツ文学者竹山道雄の書いた『ビルマの竪琴』で、竹山は元のビルマ(=ミャンマー)での体験者からの話を元に書上げたとのことである。太平洋戦争中ビルマにまで侵攻していた日本軍は次第に敗色が、濃くなり、英軍に日本の降伏を知らされた『ビルマの竪琴』の部隊は全員捕虜となる。なんでタイトルに竪琴などがでてくるかというと、この部隊の隊長(三国連太郎)は音大の卒業生で、部下たちを合唱部隊に仕立て上げ、自らと部下たちの心をなぐさめる仕掛けにしていた。部下のひとりがビルマの竪琴らしきものをつくり、それの名手(安井昌二)となったので、こういうタイトルがついたのである。おまけに竪琴名人は、三角山でまだ戦っている同胞の部隊の降伏をすすめに行くが、失敗し負傷しビルマの僧侶に面倒を見てもらう。その後自らの部隊に追いつこうと北進するが、その途中で累々たる日本兵の死骸を見、仏心のある男だったようで、これらの死骸を葬るまでは日本に帰るまいと決心をし、ついには僧侶にまでなってしまう。仲間たちはなんとかこの男をさがそうと努力し、僧侶は捕虜収容所のそばまで現れるが、仲間に合流することはない。部隊が日本に帰ることになったとき、僧侶は自分の心境を書いた手紙を人づてで隊長に渡すので、仲間たちは事情をしることができたわけである。
 『おとうと』のほうは幸田文原作で、自分の家族、幸田露伴一家を描き、特に結核で早死にをする「おとうと」に重点を置く。もちろん結核は、おそらくは昭和の初めらしい時代背景のころには、死病である。
 元気ものの弟は、最初のころはまだ中学生なのに、万引きをしたりして、親や姉をこまらせるが、そのうち乗馬などという金のかかるものに凝りだして、父親もカトリックの義母も手を焼くばかりである。犯罪に走られてはこまるので我慢しているのである。しかし、姉と弟の二人の兄弟は仲良しである。そして、姉は弟に説教はするが、どこかで若さを持て扱いかねている弟に共感する部分もあるようである。しかし、まもなく弟は結核となり、ついには帰らぬ人となる。黒澤の「映画100選」では、これが選ばれていた。
 なお「崑ちゃん」、「崑ちゃん」と気安くよんでいるが、これは通常の呼び名ではなくて、昔筆者が親しみを覚えて以来、なんとなくそう呼んでいるだけのことである。出所は、作家で初代文化庁長官今日出海(こんひでみ)のあだ名の「今ちゃん」である。要するに東大仏文出身の小林秀雄なんかの仲間たちからそう呼ばれていたのを、勝手に転用しただけのことである。もっとも「今ちゃん」がパリにいたときには、conは男性器のことなので、「いま」と名乗っていたそうである。

2008年6月中旬

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