成瀬巳喜男の『山の音』

 外国の映画が続いたので、今度は日本のものにしょうと思ってはいたが、まさか成瀬巳喜男(1905-1969)の『山の音』(1954)について書くことになるなどとは、考えてもいなかった。入院していて、たいくつなので面会室に病人が残していった本を時々借りてきて読む。今回はあまり面白そうなのはなかったが、『山の音』(川端康成著)は確か二度ほど読んだことがあるし、名作ということになっているので、ふたたび手をつけてみた。ところが、むやみと会話が多いし信吾という老人(といっても62歳)の眼を通して見た、家族の住んでいる鎌倉の景観というか、自然の移り行きといったものをバックにして、家族生活が描かれているだけである、という印象が強くて途中でやめてしまった。ストーリーは知っているし、それ以上読んでも意味がないと思ったからである。
 原作は、昭和24年から昭和29年にかけて、あちこちの雑誌に短編として発表されたものをまとめたものである。作者はまだ50代で、62才の主人公が完全な老人あつかいなのには驚いた。多分平均寿命がせいぜい50くらいの時代だから、当時にすれば当然なのだろう。主人公の信吾(山村聡)は息子の修一(上原謙)と東京で会社をやっている老人である。一年ほど以前に喀血したのにしっかり検査もせず、物忘れがひどくなり、「山の音」という老人が聞くらしい、地鳴りのような音を聞いたとかと言っている。なんだか釈然としないところもある。さきほど書いたように、原作は終わりまで読んでいないし、水木洋子の脚本も、原作の完成以前に書かれたようで、原作とはかなりちがっているようである。
 信吾はたいてい毎日息子と東京まで行くが、帰りは息子に愛人がいるので、別々になることが多いようである。息子はもちろん結婚していて、嫁は菊子(原節子)という性格のいい女性で、信吾のお気に入りである。しかし、息子の行動を積極的にいさめるわけでもない。息子は戦争経験があるようだし、愛人のほうも夫を戦争でなくした女性で、修一の嫁については、必ず帰ってくる夫を待つくらいなんでもなかろうという筋の通らない理屈をいっているらしい。息子は息子で浮気の理由を、嫁は子どもだからと最初のうちはしきりと言っていたらしい。どうも戦後という占領軍のいる時代、戦争が過去の人間の生き方や道徳を完全に破壊しつつある時代なのに、信吾はすでに出来上がった人間として、そういう時代を批判することもなく、まるで戦時中の日本人のように黙って受け入れているように見える。少なくとも、そのようにしか、小説も映画読み取りようがない。かといって、戦後の影が息子やその愛人の行動に影響をおよぼしているのは、明らかである。
 信吾は戦争前にある美しい女性が好きだったらしいが、その人はすでに結婚していた。そして、その女性の妹も姉の家庭にあこがれていて、姉が亡くなった後も、その家庭に出入りして手伝いをし、いわゆる後釜にいすわりたかったようだが、うまく行かずに信吾と結婚したらしい。そして、娘ひとりと息子ひとりをもうけるが、どちらも見合い結婚をしたようで、そしてどちらもうまくいっていない。現に娘のほうも二人も子どもがいるのに、夫の浮気が原因で、信吾のところへ戻ったりしている。ここらの信吾の結婚のいきさつは映画では触れられていない。映像にすればそこのところだけで一本の映画ができそうだからだろう。そして、この時代以後見合い結婚はどんどん減少し、 恋愛結婚全盛の時代になるが、当時としてはまだ見合いのほうが一般的である。
したがって「老人」である信吾が、自分の生まれ育った時代の風習を意にかいしないのは当然であるにしろ、現実には、時代が変化し、その変化が当人の周囲にも影響を及ぼしているのに、そのことにはほとんど触れずに、信吾の感性だけをもとにしてストーリーを割り切ってしまうてしまうことには、どうしても違和感があり、読書のほうは中断したが、たまたま映画を見つけたので、それについて書くことになったというわけである。原作のほうは、下手な理屈はいわず「もののあわれ」だけで通そうという意図があるようだが、少し無理ではないかと思う。
 監督の成瀬さんは、日本映画の四天王のひとりなのは、近頃の気の利いた外国人なら知っていそうなことである。黒澤さんの「映画100選」では、『浮雲』のみをあげていたが、女性を描けば名人という人で、傑作映画は何本もある。ただこの『山の音』は、特に優れているとは思えない。もちろん女性描写がうまいのはいうまでもないが。
 映画のストーリーに戻っておくと、信吾は修一の浮気をなんとかしようして、愛人の友人に会ったりしている内に、女性に子どもがてきてしまい、修一と別れてもいいから、子どもだけは生もうとして、修一の子どもではないと言うところまで行く。それを知った頃嫁の菊子も妊娠するのだが、誇り高い菊子は、夫の制止もきかず堕胎してしまう。そのこともあり信吾も愛人本人に会いに行くが、こちらはどうしても生むといってきかない。
 菊子は、体調が悪いといって、実家に帰ってしまい、信吾の会社に電話があって新宿御苑らしいところで会うのだが、こちらは当分だか永久だかのお別れというはなしになる。やはりもめている修一の姉のほうもどうやら話がつぶれそうである。この小説にしろ映画にしろの読みどころ見どころは信吾の菊子への舅としての愛情だが、その点では、内面の描写ができる分小説のほうが優れているだろう。なおインターネットで知ったが、鎌倉の信吾の家は川端邸を借用して撮影したそうである。

2008年3月上旬

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