チャン・イーモウの『単騎、千里を走る』

 チャン・イーモウ(1950-)は、筆者が、未見の作品をケーブルで見るのを楽しみにしている唯一の現代映画の監督である。『単騎、千里を走る』(2006)は日中合作の映画で、主演の高倉健とはすでに十年以上も前から主演の了解を得ていたそうだが、よい脚本に出会えるのに、それだけ時間がかかったということらしい。
 そもそも、文化大革命後の1978年に始めて上映された日本映画が高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』だったそうで、大変な評判となり、たいていの中国人がこの映画を見た。チャン・イーモウもその一人で、いつかは高倉健主演の映画を撮りたいと思ったらしい。それ以後キャメラマンをやったり俳優もやったりしていたそうだが、念願の監督となり、高倉健との約束も成立したらしい。
 確か三年ほど前『千里を走る』撮影中のドキュメンタリーが、NHKから放送され、それを見たので予備知識があった。約束を果たせるという喜びは、当事者に共通のものだった。こちらはそのうちこの映画が見られるのを楽しみにしていたが、今回望みがかなったというわけである。
 日本人の高田(高倉健)には一人息子がいたが、疎遠な関係になっていた。高田は北陸で漁師らしきことをやっているが、そんなことになったのは、妻に早死にされて以来であり、それまではなにをしていたのか良く分からない。妻の死を境に北陸へ移住するのだが、息子のほうは、そのことを「逃避」と取り、自分を見捨てた父親が許せないという気持ちになったらしい、ということが映画の終わり頃にわかる。
 そんな孤独な父親のもとに、息子の嫁から電話があり、息子が末期ガンになったから、会いに来てほしいという連絡がある。わざわざ東京まで出かけるが、息子は会おうとはしない。仕方なく戻った父親は、嫁から渡された、息子の仕事に関係があるビデオ・テープを見る。息子は中国の仮面を研究している民俗学者らしくて、たしか雲南省の田舎の素人役者の仮面劇を撮影していて、最後の場面で、次回は『三国志』の項羽が主人公の『単騎、千里を走る』を撮ると約束していた。それで、死に直面している息子のために、自分にできることは、約束の撮影を完成することだ、と思いこみ、単身中国へ渡る。
 ところが約束の素人役者は酒の上で犯罪を犯していて、刑務所にはいっている。撮影などとても無理だと、通訳からいわれるが、高田はなんとかしようと、必死の努力をする。そして、ついに当の役者に出会いはするが、役者は踊りを踊ることができない。ちょうど七年前に子どもを生ませた女性の死を知ったところで、かなり動揺していて、とても踊りどころではないということが、やがて分かる。高田のほうは子ども会いたさがこうじて、こんな状態なのだと思い、刑務所からはるか離れた場所へ子どもを呼びに行こうと決心する。
 これが『単騎、千里を走る』というタイトルの裏面である。山かいの村長をなんとか説得して、子どもを連れ出すことには成功するが、事情を知った子どもは、途中で父親にあうのはいやだ、と言い出す。ちょうど同じ頃東京から携帯に連絡が入り、息子が死亡したことが告げられる。息子は、自分が「単騎、千里を走る」を撮りに来ると言ったのは外交辞令だから、何も年取った父親がむりをしてまで、撮影することはないし、父が母の死から逃げたと思ったのは、自分の思い込みに過ぎず、自分だとてやはり逃げていたのかもしれないという遺言を残していた。単身刑務所に戻った高田は、役者の慫慂どおり8ミリをまわすが、心そこにないのは、言うまでもない。
 この映画では、高倉健のほかは、ほとんど素人の役者たちを、よくやることらしいが、イーモウ監督はうまく使っていた。なお、この映画の日本のパートは降旗康男(1934-)の演出である。このストーリに見られるような、地味な人情劇が、イーモウ監督の本分を一番良くあらわしているではないかと思う。

2008年1月下旬

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