M.アントニオーニの『情事』

 ミケランジェロ・アントニオーニとイングマール・ベルイマンが、7月末の同日に亡くなったということを新聞で知った。それから数日後学習院大の中条省平という教授が感想文を書いたのを読んで(朝日、8月2日朝刊)、こちらも何か書こうかという気になったが、体調の都合もあって映画を見られずのびのびになった。両方いっぺんには大変なので、片方ずつにする。
アントニオーニ(1912-2007)は『情事』(1960)以来有名になったが、ゴダールの『勝手にしやがれ』も同年に公開されたことは、これまで気づかなかった。中条氏の文章にもあるように、60年以後の映画の新しい風潮をこのふたりが中心になって推し進めたのである。
ともかくすごく新鮮だったと感じた記憶が鮮明にある。
 『情事』は、トウの立ったという感じの恋人同士、婚約者同士が、ヴァカンスで、シチリア島の近くにある小島に出かけるが、女性が行方不明になってしまう。本人の意志で消えたのか、事故なのかは明かされない。恋人をはじめ同行していた数人の人間が、警察などの援助も仰いで必死になって海まで探すが、どうしても見つからない。
 消息の情報を求めた結果にもとづいて、失踪した女性の恋人と友人(モニカ・ビッティ)とが、調査めいたことをするが成果があがるわけではない。そのうち男性のほうが女性に好意をもつようになり、仲良くなってしまうので、失踪した女性からすれば、まるで『情事』のようなことになったわけである。こんな書き方をすれば、見ていない人には事件が起こっているような感じがするかもしれないが、アントニオーニのやり方はまるで淡々としていて、それぞれのシーンを「断片化」して、相互がかろうじて結びついているといった形をとる。最後には、男が浮気めいたことをして、女にばれるが、後悔の涙を流す男を見て女が許すところで映画は終わる。たぶん7、8年前全部ではないにしても、『太陽はひとりぼっち』とか『赤い砂漠』なんかを6、7本見て、『情事』が一番すっきりしていると思いこんでいたが、そうでもないらしいということが、今度はっきりした。
 中条氏の文章を借りると、「原因不明の状況の変化のなかで、人間たちは確かな関係を築けないまま、さまよい続ける。こうしたテーマを批評家たちは「愛の不毛」と呼んだが、問題は愛だけではない。アントニオーニが投げたのは、世界の成り立ちについての根源的な問いだった」。
 「アントニオーニは因果関係の明らかな物語を描かなかった。世界は断片化し、明晰なイメージの集積であるにもかかわらず、それが秩序だった物語や世界像に構成されることはない。この世界認識から映画の<現代>が始まったのだ」。
 いかにも評論家っぽい、奇妙に硬度な文章だが、当時の世界中の若者たちのあいだでは、カミュの『異邦人』の不条理やサルトルの『存在と無』などの実存主義といわれるものが流行していて、日本もその例外ではなかった。人間の生の営みは、矛盾に満ちた無意味なものとする風潮が、上記の作家や思想家たちの初期思想によって唱えられ、そこらが共感を呼んでいたようだが、今にして思えば、映画の方ではアントニオーニやゴダールたちが、そうした風潮を作品として表現し、いわば衝撃をあたえていたのである。映画自体にそのような雰囲気が漂っていたし、ストーリーにあまりたよらない、彼らの断片的な人間の理解が雰囲気を盛り上げるのに十分に効果的だった。そして、その独自の雰囲気はいまから見れば、なんとなくどこか浮き上がった感じにみえて、若者たちからすれば、かなり奇妙なものという印象になるのではないか。映画の常で新しいやり方は、たちまちのうちに模倣され、新鮮だったものも、今では新鮮には見えなくなっているだろう。そして次第にはっきりしてきたのは、彼らは映画の制作に際しては、断片的な理解の仕方以外に、人間も世界も理解できないらしいということである。そうなれば、ほとんどストーリーに頼れないわけだから、出来上がってくる映画は、いくらか角度を変えた程度の、ほぼ同種同質のものにしかならないので、観客からすれば、「またやってるわ」という感想をもらさざるをえなくなる。とはいえ、もちろん凡才ではない。たしかにひとつの時代を作った人たちである。
 アントニオーニも最初のうちは、いろんな映画賞総なめだったが、しだいに寡作になっていく。筆者も一本見るだけでは気がひけるので、『愛のめぐりあい』(1995)という老齢と病気のせいだろうか、ヴィム・ベンダースの協力をあおいで作ったらしい、短編の寄せ集めのような晩年の映画も見たが、代表作に見られるような独自の虚無的な雰囲気はなくなって、今風の映画らしくはなっていた。二度目だが、前回の記憶はまったくなく、まずまず面白く見た。テーマは一言で言えば、例によって「愛の不毛」といったものである。それと、『映画を作ることが生きることだ』(1995)という上の映画のメイキングをドキュメンタリーにしたのもついでにのぞいたが、晩年のアントニオーニはいかにも好々爺で好感がもてた。

2007年9月上旬

映画エセートップへ