黒澤明の映画(10)「赤ひげ」

 前回の『天国と地獄』(1963)の舞台は東京の下町と書いたはずだが、あれは横浜の間違いで、あの時おかしいなと思いながら、場所が思い浮かばなかった。病気のせいだとでもしておこう。今回の『赤ひげ』(1965)までは劇場公開時に見ているが、残りの映画のうち映画館で見たのは『まただだよ』だけなので、この映画以降気になりながら黒澤映画からは遠ざかっていたことになる。
 原作は、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』で、実際に江戸の小石川にあった「養生所」がモデルになっているようである。幕末のころまで130年も続いた公の施設だったらしい。
 貧しい人たちの無料の病院が、十分な形ではもちろんないにしても、江戸にはあったのである。赤ひげというあだ名の新出去定(にいできょじょう=三船敏郎)という所長のもとに、保本登(やすもとのぼる=加山雄三)という長崎帰りの若い医者が配属されることになることから、話は始まる。若い上に長崎で修行してきたのだから、若い医者は出世がしたいのだが、いいなづけに裏切られたなどということなどもあり、赤ひげや親の意向もあって世間的にはさえない診療所にしばらく居たほうがよかろうということになったらしい。黒澤明によくある、若者がすぐれた先輩のもとで、一人前になっていくというストーリーに属する話である。
 そして、この映画のテーマはいまさら言うまでもないが、黒沢明の中心的なテーマであるヒューマニズムである。本質的には時間の芸術である映画では、ややこしい問題は取り上げにくいが、「人間が人間らしく生きる」というテーマなら、取り上げ方にもよるが、まず困ることはないだろう。いわば、この『赤ひげ』では、手なれたテーマの集大成が行われたといった感じである。すでに「世界のクロサワ」になっている黒澤さんは、あわてずさわがすこのテーマをこなしていると思われる。おまけに、黒澤映画のもうひとつの側面のアクションも堪能させてくれるというサービスまでついている。
 小石川養生所の患者たちはみんな貧しいが、精一杯生きてきたのに、気がつけばこの養生所にしか居場所がなかったという状態である。当然幕府から支給される資金が潤沢なはずはなく、カットされがちで、赤ひげは大名や金持ちからはたんまり治療代をせしめては、養生所につぎこんで、かろうじて経営を維持している有様である。
 もともと山本周五郎の原作も、短編を寄せ集めた形のものだったらしいが、映画もそのいくつかを選んで組み合わせるという格好なので、いちいちのストーリーの紹介はしない。
 ただ、赤ひげは、この養生所の患者たちを、十分なことはできないのは分かっていても、なんとか人間らしい生き死にをさせようと努力するのが、ストーリーの根幹であり、若い医師の保本も、しだいに赤ひげに共感を覚えるようになり、良き協力者になることを誓うところで、物語は終了する。
 この映画も、『七人の侍』と同じくらいの回数は見ていて、すみからすみまで知っているという感じだが、今回見直していて、ずいぶん理解しやすい映画だなあという印象だった。テレビの普及により、50年代にはアメリカが、そして60年代には日本映画が斜陽化し始め、映画会社やその関係者には苦難の時代が訪れることになるが、黒澤さんにしても、そういう時代になった以上、理解しやすい映画を作ることが、ひとつの打開策になると思っていたのかもしれない。
 しかし、斜陽化は容赦なく進み、黒澤明にとっても、映画作りがきわめて困難になってくるのは、次回作までに、5年の時間が流れることになることからも、理解できよう。

   5年後の映画が『どですかでん』(1970)で、原作は『赤ひげ』と同じ山本周五郎の『季節のない町』で、これも短編集らしくて、前作同様いくつかの話をピックアップし組合せているのだが、こちらは失敗作というしかないだろう。「どですかでん」というのは、冒頭に出てくる、市電の大好きな17、8歳の知的障害者が、毎日架空の市電を運転するという遊びをやる際本人の発する市電の音なのである。これは頭師佳孝という俳優に市電なしで市電の運転をさせるという芸当をやらせ、成功するところから始まるのだが、あまり上等とはいえそうにない東京のはずれらしいところに住む、貧しい住人たちが、さえないことばかりしでかしながらストーリーが進行していくので、見ているほうとしてはだんだん気持ちが滅入ってくる。脚本にさらに一工夫あってしかるべきところだったろう。ただ、渡辺篤演じる人間のできた職人が、役回りとしては「赤ひげ」並みの形で出てくるので少しはほっとするところもあるが、役割が軽いので、救いとはならない。
 『赤ひげ』以後アメリカ映画から声がかかったりしていたのにうまくゆかず、私生活でも不都合があったりしたことが、どこかに影を落としているのではと思ったりもするが、もちろん単なる推測で、確実なのは『どですかでん』があまり面白くないということのみである。

2007年8月中旬

映画エセートップへ