黒澤明の映画(8)『悪い奴ほどよく眠る』

 退院してからかなり経つのに、リハビリのほうはさっぱりである。やろうとは思っているが、なかなかその気になれない。といっても、近所を散歩する程度のことだが、その気がなかなか起こらない。それにわずかの距離でも、行けば行ったで、結構疲れるのが分かっているので、気がそがれるのである。もう少し元気にならないと、こんな文章を書くこと自体が大仕事である。
 だいぶ以前に書いたのが黒澤さんについてだったから、外国ものにしようと思っていたが、適当だと思ったのはビデオが見つからない。仕方がないから黒澤さんの続きにしようとしたところで、他のを思いついたが、黒澤さんの分もある程度見ていて、見ること自体が気合の入った映画だと神経が疲れるので、いまさら取り替える気にならない。映画も三ヶ月ほどご無沙汰だったから、やはり入院ボケの影響をこうむっているのである。
 今回は『悪い奴ほどよく眠る』(1960)。これ以前に『隠し砦の三悪人』(1957)という最初の娯楽作品があるのだが、あまり出来がよくないということは、先に少し書いているので、今回の分まで跳んだのである。ちなみに例によって佐藤忠男著『黒澤明解題』によれば、『隠し砦』はともかく大作で、製作日数や予算でもオーバーしてしまったため、東宝は黒澤に製作面でも責任を要求してきたため、「黒澤プロダクション」ができあがり、この作品から介入してくることになる。
 テーマは昔よく言われた言い方では「疑獄事件」、つまり昨年かなり話題となった「談合」である。こないだうちの「談合」では知事がやめなければならないなどという大事にまでいたるようになってきているが、映画の時代からほんのしばらく前までは、身分の高いのはノウノウとしていられて、下っ端の役人が自殺することで、責任が上におよばないようにしていた。「悪い奴ほどよく眠る」しかけになっていたのである。そういうやり方真っ盛りのころの話である。主人公の西(三船敏郎)は、下っ端役人と恋人との間にできた子供だったが、父親はふたりをすてて、出世に有利な女性と結婚してしまったため、戸籍上は私生児である。その父親が数年前「談合」の責任をとらされて、ビルから飛び降り自殺をしてしまう。西はひそかに復讐を誓い、友人と戸籍の交換をして、首都圏のある公団の副総裁(森雅之)の秘書になり、ついにはその娘(香川京子)と結婚するところまで行く。その結婚式の日に(冒頭部分)、どうやら副総裁がらみの「談合」がバレそうになる。そのためひと悶着があった結果、下っ端ふたりに自殺させてうやむやにしてしまおうと、「悪い奴」らは考える。一人は自殺するが、もう一人(藤原鎌足)は西が救助し、かくまい自分の復讐であると同時に、その男の復讐も同時に果たそうとする。
 しかし、当時新聞報道などでは同様の事件はなかったようだし、黒澤さんはどうしようもない悪習をあばきたて、「正義」を主張するために、この映画を作ったとしか思えない。ストーリー的に無理だと思うのは、西が父親の自殺時の写真を常にもっていて、それで憎しみをかきたてたりする場面とか、藤原鎌足の上役(西村晃)に自分の父親の自殺の責任を取らせるために、かなり残酷に責め立て、狂気にいたらせたりするところである。仕方がないから、鎌足さんにたしか「あんたは普通じゃない」と何度か言わせているが。
 西村晃の上役(志村喬)が、西の経歴に疑問をもち、ついに西が、自分たちの自殺させた男の息子だとつきとめる。西はこの男を監禁し、その男のワイロの取り分のありかを白状させ、証拠をつくり復讐は成功するかに見えるが、西が結婚した副総裁の娘に愛情を抱いたことが、破滅の原因となる。
 二人は実質上は夫婦ではなかったのだが、娘のほうは最初から西に好意的だった。そして最終段階では西の正体を知らされていても、すでに副総裁の家を出ている西に会ったりもするが、父親にうまくだまされ、西の居場所をもらしたため、復讐は挫折し、復讐関係者は皆殺しにされる、という陰惨な物語である。そしてついに娘と兄の二人兄妹(兄=三橋達也)は、父親のもとから去る。小さい時兄は妹を自転車に乗せていたが、転んで妹は足に障害をもつことになったため、罪責感を感じている上、父親が悪党であることも知っているのである。副総裁は背後に隠れてあやつっている政治家と昵懇しているほうが、有難いと思っているらしい。
 もちろん、黒澤さんのことだから、いつものことながら仕事が丁寧なのは言うまでもないが、上記のような欠点もあるし、これまでにも書いたように、例によって「正義」などという抽象観念に頼ろうとする黒澤明の悪癖的傾向が出た作品だと思う。黒澤さんは現代劇では、よく失敗作を作るな、という印象が強い。

2007年2月初旬

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