黒澤明の映画(1)『姿三四郎』など

 黒澤明については、すでにこれまで三度書いているが、今度は最初から順番に見ていこうと思っている。処女作の『姿三四郎』は、戦争中の1943年(黒澤33歳)に発表された。初めて見たのは、すでに書いたパリのトロカデロにあったシネマテークの分館でである。その時筆者は20代の後半に入っていて、中学の三年生以後に発表されたのはたいてい見ていて、すでに見たものと比較するとあまり面白くないという感じだった。もちろん時たま日本映画をやってくれると、聞き取りに苦労したり、フランス語の字幕を読んだりしなくてすむので有難いことだった。それと知らない人もいるかも知れないので、念のために書いておくと、フランス人というのは、映画を見ていても気に入った場面になったり、気に入った俳優が出てきたりすると、一斉に拍手をするのである。他の西洋人も同じだろう。どうも芝居の習慣がぬけないらしい。
 その時以来この映画は多分五六回は見ているが、今回書くことを前提に意識的に見ていて、これは一言で言えば、柔道を通じての求道の物語だということになるなと思った。富田常雄の小説が原作で、矢野先生(大河内傳次郎)のモデルが講道館の嘉納治五郎らしい。むやみと強くなりたい姿三四郎(藤田進)が喧嘩に巻き込まれて帰ってくると、先生から、お前は「人間性の道」というものを知らん、と一喝される。たしかにこういう言葉だったか自信がないが、こんな言葉を明治時代に柔道をやっている人が使うだろうかと思ったのを思い出したので、多分そうだと言うことで横着をしておく。そのあげく、三四郎は庭の池に飛び込んで、修行の真似事をして、明け方蓮の花が開くのを見て何事かを悟った、と言うことになっている。柔術家は武士階級に属していたらしいが、身分も職も剥奪され、警察の師範の席をねらうのが、関の山といったところで、柔道の方が柔術より分がいい情勢である。過去の柔術を、先生は「柔道」と呼び変えて、「人間性」の探求を目指す武術にするのである。華道とか茶道とかなんにでも「道」をつけて、禅くさい「悟り」とくっつけたくなる癖を持つようになったのは、千利休のころからだろうか。テーマ的にはその手の映画で、同種のものはたくさんあるだろうが、アクションの切れ味が黒澤さんの場合はすこぶる快調である。といっても特に面白いとは思わない。しかし、処女作でこれくらいの映画をつくれるのは、やはり黒澤さんだからである。
 三作目の『続姿三四郎』(1945)は、処女作がヒットしたので、会社の命令で作ることになったらしい。あまり乗り気ではなかったにしても、腕は上がりいろいろな工夫も見られ、見方によっては処女作よりも面白い。戦時中だからアメリカのボクサーをやっつけたり、処女作では最後の勝負の相手だった狂気じみた柔術家の弟たちの空手をやっている連中を相手にしたりと、結構物語りにスピード感があった。「求道精神」は続いているが、あまり正面には出てこない。
 二作目の『一番美しく』(1944)が、もっとも戦時色の濃い作品である。なにしろ若い男たちが、戦場に出ているので、若い女性たちもさまざまな職場で働かなくてはならなくなっている。日本史上ほとんど始めての若い女性の大量の職場進出である。軍事用のレンズを作っている女性群は、品不足を補うために、みずから進んで増産命令以上の仕事をする。それは、みずからの利益のためではなく、日本のためであり、戦場にいて死を賭しているみずからの恋人たちや未来の夫たちのためである。たしかに映画の中の女性たちは「美しい」。しかし、黒澤さん自身の脚本になるこの映画では、まだ戦時下であるため、すべての情報が統制され、日本の貧しさのため、きわめて非人間的な条件のもとで、多くの若者が戦い、そして死んでいったということは、まだ十分には知らされてはいない時期の話である。  いずれにしろ、どの映画の主人公たちも、きわめて誠実な人間で、一所懸命生きているという黒澤映画のメイン・テーマを、だれもがすでに持ち合わせている。

 以上、戦時下に発表された作品のみに言及した。黒澤明著の自伝的作品『ガマの油』があるからなにかと便利だとおもっていたのに、どうしても見つからない。そういえば、戦時下黒澤明は内務省の検閲官に、ずいぶん悩まされたと怒っていたが、そんなことも含めて、たまたま手元にあった佐藤忠男氏著『黒澤明解題』(岩波書店)という本にいろんな面で助けてもらった。

2005年9月中旬

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