「風と共に去りぬ」

1939年に発表されたヴィクター・フレミング監督の「風と共に去りぬ」という映画は、今でもまるで映画の代名詞のようになっていて、たいていの人はこのタイトルは知っているし、見る機会があれば、誰もが見ているような映画である。今ならビデオがあるからその気になればいつでも見れるだろうし、どんなビデオ屋にもこのビデオならあるだろう。
なんで「風と共に去りぬ」の話をしようなどと考えたかというと、今は授業がなく、学校で映画を見せていないので、ひっかかりのネタがなく、仕方がないから有名な映画の話でもしてみようかと思ったからである。それにこの映画は以前に書いたアメリカ映画ベスト100でも4位に入っていて、アメリカ人にも大変人気があるようだからでもある。しかし、実はあまり気に入っているわけでもないので、例によって悪口になりそうだが、多分3度くらいは見ていても、あらすじは知っているが細かいことは忘れているので、もう一度見直してみないと、とやかく言うわけにはいかない。それで231分もの長い映画を多分三日がかりくらいで見直して、やっとワープロを開いたところである。なんでそんなに時間がかかったかというと、時間がなくて、コマギレにして見たからではなく、あまり面白くもないので、いやいやながら見るから時間がかかったのである。パーフェクト版.とかスペッシャル版とかと言うのも、こないだデジタルでやっていたので録画したからあるにはあるが、こちらだと余計長くなるので敬遠したのである。
どだいなぜこの映画が映画の代名詞のように言われるのかそのわけが、まったく分らない。たしか黒澤明の選んだ映画ベスト100にも入っていなかったと思う。記憶はあやふやだとしても。もともとはジョージ・キューカーが製作者のセルズニックと折り合いが悪く降板させられた後を受けたのが、フレミングらしいが、すごい大金を投じ、人気俳優を集め、その上当時は非常にコスト高のカラーフィルムを惜しげもなく使った以上なにがなんでも、MGMの代表作にしようとセルズニックは思っていただろう。フレミング以外にも、サム・ウッド、シドニー・フランクリン、ウィリアム・ウェルマンなどのいずれも二流の監督に協力を仰ぎ、最終的にはセルズニックが大鉈をふるつて仕上げをしたのだろうから、まあまあなんとか見ていられる映画にはなっている、というのが率直な感想である。
それにしても、主人公のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)が愛し続け、終始愛し続けていたと誤解していたアシュレーとその妻や太った黒人の奴隷の女中さんを除けば、主人公のスカーレットとその夫のレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)は愚者の典型のようなものである。このような愚者が主人公でありながら、それでも人々から愛され続けている映画などあるだろうか。スカーレットは若いときからすこぶるつきの美人で、その美人である誇りはいやみったらしいほどなので、懸命なアシュレーは他の女性を結婚相手としてえらぶのに、スカーレット自身は、ずっとアシュレーは本当は自分を愛し続けていたと思い込んでいるのだから、見ているほうとしても自信過剰もいい加減にしろといいたくなるし、それにからまるバトラーのほうも金儲けの方はうまいようだか、男女の関係についてはスカーレットほどではないにしても、どうみても賢明に行動しているとは思えない。ご存知の向きも多いとおもうので、詳しくは書かないが、このような恋愛関係の物語の背景をなしているのが、南北戦争である。このアメリカ人たちにとってはきわめて重要な歴史的事件と大いにかかわりがあるので、彼らにとっては重要に思える映画なのかもしれない。ちなみに言えば、南北戦争は、ほぼ日本の明治維新のころ起こった内戦である。
そういう絡みもあっての上でのことかもしれないが、日本の作家の司馬遼太郎さんが、たしかどこかで、アメリカの小説ではM.ミッチェルの「風と共に去りぬ」が一番好きだと書いておられて、意外な思いをしたこともあってから、一度は小説も読んでみようと思いながらいまだにはたぜすにいる。映画を見ただけならとてもそんな気は起こらないが、司馬さんが言うのなら間違いなかろうと思い、今でも読んでみるつもりでいる。司馬さんといえば、「坂の上の雲」以来のファンである。それ以前はあまりかわないが、「雲」以後は大好きである。
なお、今度見て最初の説明の部分に、これはひとつのcivilisationの終わりを示す映画でもある、とあった。日本語訳はどうなっていたか覚えていないが、多分アメリカで、農業面で一番豊かだった南部と呼ばれる地域が奴隷制度をバックに築き上げたcivilisationの終焉を告げることも大きな役割だったのだろう。そのことに成功したとは思えないし、その南部のcivilisationなるものも、北部の貧しさとの対比で理解できる程度のことしか分らない。アメリカは、今も少数の人間がアメリカの富の90パーセント以上を独占している国だからであり、10人にひとりが飢えている国だからということも、思い出しておく必要があるだろう。

2005年3月中旬

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