アメリカ映画ベスト100(2)

 アメリカ映画ベスト100などということになると、アメリカ人たちはいつも第1位にはオーソン・ウェルズの『市民ケーン』を選ぶ。筆者が20代の頃たしか新聞で見たときも、やはりベスト・ワンだった。どだいこれはオーソン・ウェルズがたしか25歳の時に作った作品で、いくら神童扱いされていたとはいえ、しょせん若造の作品でしかないものをいつもトップにあげたくなる心境がよくわからない。
 たしか昨年『市民ケーン』と一緒に、主人公のモデルを紹介した暴露もの的な映画をやったのを見たことがあるし、最近もピーター・ボグダノビッチが作った『ブロンドと柩の謎』(2001)という映画を速送りで見た。さいわいビデオがまだ残してあったのでタイトルが分ったが、消してしまっていればまた怪しげなことを言うところだった。この映画は、新聞王とかと言われたらしいモデルが、自分の船に恋人はもちろん友人たちやチャップリンまで同船させたため、その恋人とチャップリンがあやしい仲になり、モデルが殺人事件まで起こしたという物騒な話だがどうやら基本のところは実話らしい。ケーンのなかでは本人は政治家になろうとしたり、この恋人はオペラ歌手にしようとされていずれも失敗ということだったが、この映画では俳優にしようとしてチャップリンに売りこもうという話になっていた。本物のケーンはたしか映画会社も経営していたとかということで、ウェルズは自分に下手に被害が及ばないよう、ケーンではオペラ歌手ということにしたらしい。技術的にも当時としては新しい試みもかなり試みられたようだが、今となっては別段珍しくもない技法だろうから、なんでそう有難がるのか、理解に苦しむ。ケーンという人物は大物だったにしろ、いやみったらしい人間でとても好きになれそうにないし、ケーンの中ではキーワードのようになっている「ローズ・バッド」という言葉は、先の暴露物では、ケーンが恋人の性器の「呼び名」にしていた名詞だとのことだから、そんなことを知ったらただでも傑作だとは思っていない当方からすれば、余計つまらなく見えてくる。もちろん『市民ケーン』が駄作だといっているわけではなく、たしかに立派な作品だとは思うが、なんでトップなのかとゴネているわけである。それにケーン以後も、ケーンをしのぐ作品を作っていないのは、今度のベスト100の中にウェルズの作品がほかには1本も入っていないことからも分るだろう。特別な思い入れでもないかぎりトップにはしないだろうというのが当方の推測である。多分最初から芸術的な映画を作ろうと思って監督をやっていたのは、アメリカではウェルズしかいなかったからではなかろうかというのが、推測の中身である。こないだもかつてシネマテークでは若気のいたりでひどく感激して見た『上海から来た女』に再会する機会があったが、がまんできずに速く送ってしまった。それに、彼の映画にはどうしてああ嫌な人間しか出てこないのだろうというのが、おおきな不満のひとつでもある。
 それから第7位の『卒業』というのも、どこがいいのかさっぱり分らない。筆者ならベスト100の中にも入れたくないような作品がなんで7位か不思議で仕方がない。速送りでしかみたことがないので頼りないが、確か恋人の母親と性的関係をもってしまう青年の話だったはずだが、それもあの程度の作り方では見ている気にはとてもなれない。これも推測だが、アメリカでは同じようなことがよくあるのでアメリカ人たちの共感を呼ぶのだろうか。たしか第2位の『カサブランカ』を「ハリウッドの恥辱」とかと言った人がいたそうだが、『卒業』を7位に入れることの方がよほど恥辱だと思う。『カサブランカ』は、ともかく見ていられるからである。
 筆者なら『アラビアのロレンス』をトップに置くのが妥当と考えるが、やはりイギリス人の映画がトップに入るのは嫌な人が多いのかもしれない。苦肉の策で『市民ケーン』がトップになっているのかという気がしないでもない。
 ベスト100については、まだ言いたいこともあるので、次回もベスト100が話題になるだろう。

2004年10月中旬

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