映画と私との少し奇妙な関係(2)

 前回に書いたように、やっとなんとか映画をまともに見ることができるようになった状態で残りの一年ほどをシネマテークに通い続けて、日本に帰ってくると映画の斜陽化といわれる現象も実感できたが、それでもまだ今ほど見る映画に事欠くことはなく、映画館に通っていた。しかし、パリにいたときのように便利な環境ではないし、費用もかかることだし、そう頻繁ではなかったはずである。そのうち体調を崩したりということもあって、あまり映画館にはいかなくなった。そして子供が生まれて、その子が自閉症らしいということになり、息子は筆者がそれまでのように宵っ張りを続けることを好まなかったので、いわゆる晩酌なるものをやっては、早く寝るように心がけているうちに、それが習慣化し今にいたっている。それで、なんかテレビでコマギレにされたような映画は見ていたが、とても映画を見続けているという状態ではなくなってしまった。
 そのあいだに、体調のこともあるし息子の自閉症のこともあるし、妻は妻でなんとか息子の状態を改善しようと躍起になっていたりの上に、筆者の定職が定まらないので経済的に苦しいということもあり、まったく映画館との縁は切れてしまっていた。
 もっともコマギレ映画から察知したことは、おおかた映画から学べることは学んでしまったという不遜な考えで、まあそんなに間違ってはいないにしても、かなり乱暴だったと、今になれば思う。
 それから20年には満たないが、ほぼそれに近い時間がたったころ、つまり今から15,6年以上も以前のことだが、NHKのBS2で、黒澤明の選んだ映画100選とかというのをやったので、それまではビデオの録画の仕方も知らなかったのが、その100本を録画し、時間があるときには見ていると、一年もしないあいだにすべてを見終えて、やはり映画は面白いし、いろいろなことが学べるということを改めて再認識した。もちろん文字で語る文学や哲学と比較すれば、映像を主としているため文字と言う点からすれば情報量は極端に落ちるにしても。そして、それを見ているあいだに、学校ではカリキュラムの改変があり、筆者の担当していた「哲学」という科目名が、別の名前に変化することになった。だから、翌年からは授業で映画を使ってみようなどというという計画を思いついたのである。
 それにしても、ブランク期間が長すぎると思っていたところへ、こんなことを始めるのは少し無謀という気がしないでもなかったが、「映画100選」の際に、NHKのスタッフと黒澤さんとの会談があり、たしか「映画は世界の広場」というタイトルだったと思うが、それも録画していたので見たところ、黒澤明曰く、「映画は5分も見ていれば、良し悪しは分かる」とのことだった。言われてみれば、そのとおりで、ためしにやってみると確かにこれでいけることが分かった。昔の映画なら、最初のスタッフやキャストの紹介は、なんらかの地の上に名前が表記されるだけだが、近ごろのは名前のバックはたいてい何かの撮影になっているから、どの程度の画質を作れる技量をもっているのかは最初のうちから分かる。後の台詞や音楽などもほぼそれに見合っているから、5分もかからないうちに判定できる場合もあるし、出だしはうまく進行していて、最初の2、30分は引きずられる場合もいくつかあったが、ほぼ予想通りではずれることはまずなかった。最初のうちこそ2、3どうかなと不安になることがあったにしても、もう15年以上になるが、大失敗は1度としてない。ビデオを利用できる時代の効用である。ともかくこれは、映画をほとんど見ていなかった間に出てきて優秀な監督の名前を知るための作業だったな、と今になれば思う。もう故人になられたが、黒澤さんのおかげで、むだな時間を使わずにすんだ。  このやり方だと、少なくとも1日に一本は見ることができるので、20年近く失っていた時間を取り戻すことができ、なんとか商売というのもおかしいが自信をもってやれるし、順調に推移している。小津安二郎の映画の台詞流に言えば、以上が映画と私との「ちょいと」奇妙な関係である。次回からは、黒澤明の作品の話でもしてみようか、と思っている。
2004年5月中旬

映画エセートップへ