映画と私との少し奇妙な関係(1)

 10数年以前から、昔で言う教養の「哲学」の時間に、学生たちに映画を見せては、感想文を書かせるという授業を行っている。ともかく哲学についていくらやさしく語っても、まったく話が通じないという事情は、今も昔も変わらないのだが、学生の態度がすっかり変化してしまったからである。昔なら理解力不足のため理解できないとみずからを責めたものだが、どうも近頃は「やさしく」語れない教師が悪いと思っている学生の数がかなりを占めているようである。「やさしく」語れないこと、言葉だけをやさしくしても難しい事柄はいくらだってあるということが、分からないらしい。だから、自分を責めずに、人を責めるのである。話が通じないのに話をするというのも疲れることで、そのため授業科目名から「哲学」という名前をはずしたとたん、映画に依存することになったが、しかし簡単な説明をつけて映画を見せるだけでは、なんだか気がひけるので、映画と映画のあいだの時間には、プリントを配ってなんとか授業らしい体裁を整えているのだが、これは当方のためで、学生のためではない。学生のためだけを考えたら映画に徹したほうが、多分いいだろう。しかし、映画の理解力も著しく低下しているので、たいして変りがないという気がしないでもない。
 そもそも筆者と映画との密接な関係の始まりは、1960年代後半に二年ほどパリにいたことに起因する。日本では「東京オリンピック」以来たいていの家庭にはカラーテレビが普及していたのに、新しいものにはすぐには飛びつかないヨーロッパのなかでもとりわけ頑固なフランス人たちは、夜の娯楽の時間になると芝居や映画などに出かけるのが、依然として続いていて一般の家庭にテレビなどはない。晩御飯の後にはしばらくテレビを見るという習慣のついている日本人には、到着早々このテレビがないというのが、かなり困る事の一つだった。ラジオも到着早々だからよくは分からないということもある。おまけに16区の高級住宅地のおばあちゃんのアパルトマンの一室を借りたものだから、昼食は学生食堂ですませるとしても、晩飯を近くのレストランで取ろうものなら軽く2000円は越えてしまう。仕方がないから地下鉄で二つ先のエトワールという凱旋門のあるところに行けば、セルフ・サービスのレストランがあって、そこでなら1000円以内で晩飯にありつけるし、しばらくして分かったのは筆者の住居の駅地下鉄のトロカデロの近くには、「シネマテーク」というフィルムライブラリーの分館が当時はあって、毎月一ヶ月分のプログラムを発行していて、学生なら100円程度で一本の映画を見ることができるということである。
 そういうわけで、シネマテークのプログラムを買い、用事でもないかぎり毎晩見る映画を決めておいてから、その時間に合わせてエトワールで食事をして、帰りには映画を見るのがたちまちのうちに習慣となった。もちろん映画が気晴らし以上のもので、芸術作品であることはフランスなどではつとに理解されている。しかし、ウイークデイでも昼間の1時ころから夜中の12時ころまで、土日は午前10時くらいからやっているにしても、こちらが見に行く時間はほぼ限定されているので、いつも希望通りのものが見られるとはかぎらない。なにしろ当時で54,000本もの映画を抱えている世界一のフィルムライブラリーで、優れた映画ばかりを集めて、それのみを公開しているわけではない。何が出てくるか分からないし、外国映画で字幕なしのものでも平気で公開するのである。少しヨーロッパのことを知っている人になら、緊急を要しないことでなら、そんなことがしょっちゅうであるのは、周知の事実だから、驚きはしないだろう。
 ともかく一年ほど通った時、自分の目がおかしくなったのではないかという経験をした。
 映画の画面がやたらと美しく見えるのである。しかし、すべての映画がそうだというわけではない。どうも優秀な監督の作った作品にかぎられているということに、しばらくして気がついた。どうもこちらの目が「見える」ようになったということらしいのである。それ以前には、日本にいるとき絵画で同様の経験をしたことがあるのを、そのとき思い出した。どうやら映画を「見る目」を持つことができるようになったらしいというわけである。そして、優秀な監督たちは、たいていは2時間程度の時間の間、映画の画面をかなり映画を見慣れた人間の鑑賞眼にたえうるように、一瞬たりともゆるがせにすることなく、作品を仕上げているのだ、ということが理解できた。それと同時に優れた映画監督というものも理解できたような気がした。当時はアンジェイ・ワイダを筆頭とするポーランド映画が流行していて、フランスでもその傾向があり、字幕がないか、ひどい時には三分の一程度しかない映画をよく見せられた、多分今思えばそれほどたいしたものではなかったのかもしれない。うろおぼえではあるが、日本びいきのアンジェイ・ワイダにしてからが、中期の作品あたり以降は、それほど優れた人ではないと思えるようになってしまった。(予定を越えたので、続きは次回にします=つづく)
2004年4月中旬

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