自閉症の神話



布施佳宏

「精神分析が用いる諸概念は、哲学とは無縁な研究を通じて、解釈上の仮説として作り上げられたものである。」 F.アルキエ著『感情的意識』( 注1)

はじめに


 自閉症の神話について語りたい。まず、「自閉症の神話」という言葉で、筆者が何を言おうとしているかを、明らかにしておく必要があるだろう。この神話は、例えば、「ただ、こちらをちらりと見たその目に何億分の一かの怯えのようなものがからみついていると感じた。ドアの真ん中の小さい覗き穴から外へ目を凝らしている自閉症の少女・・・そんなけはいもあったが」( 注2)、という村松友視の文章の中の「自閉症の少女」という言葉の使い方の内に現れているものを指す。
 この文章では、自閉症という言葉は、内気な人間が、怯えや不安などのために、人との接触を避け、「自己の内部に閉じこもろうとする傾向」といった意味で使われている。そして「少女」という言葉で示されているように、単に子どもの間だけの、情緒障害といったたぐいのものと見なされている。
 この文章を読んで何の疑問も抱かないような状態を、筆者は、「自閉症の神話」に囚われている状態と見なす。おおかたの日本人は、この神話を、異論なく受け入れているようである。
 「自閉的」という言葉も、現代の日本人が愛好する言葉のようだが、「自閉的」と「自閉症ぎみ」という二つの言葉を並べて、この二つの言葉の意味の相違の説明を求めれば、やはりおおかたの日本人は、ほぼ「同じ意味」と答えるだろう。それでは、「自閉的」傾向があることと、「自閉症」とはどう違うのかと、さらに問い詰めれば、やはり大多数の日本人は、「自閉的」傾向のある人とは、情緒不安定な内気な人で、「自閉症」とは情緒不安定で内気な状態が病的になったものといった答え方をするだろう。さらに、「自閉症」の原因は何かと尋ねれば、「親子関係のもつれ」と返答する人がやはり大部分だろう。
 筆者が「自閉症の神話」と呼んでいるものは、ほぼ以上のようなものである。
 本来きわめて重篤な障害を指し示し、大部分のケースでは、一生この障害からの脱出が不可能な現状の打破に努めている専門家たちは、「自閉的」とか「自閉症」という言葉の氾濫に閉口し、「内閉的」という言葉を使用することで対抗しようとしているようだが、自閉症の神話はいっこうに衰えそうもない。神話とはそういうものなのだろうが、それにしても、自閉症の神話と「自閉症」の実態とは、あまりにもかけ離れすぎている。まったくの無知が公然とまかり通っている上、原因は「親子関係のもつれ」と見なされているので、暗黙の内に、そんな問題は親子間で解決すればいいという結論なってしまっている。要するに、他人様の知った事ではないで、たいていは終りである。
 無関係な人たちは、それだけで済ませてしまって、後は知らん顔をしていればいいのだろうが、この神話のために、とんだ濡れ衣を着せられてしまっている、自閉症児ならびにその家族にとっては、大変な迷惑である。神話の中にどっぷり漬かっている人には分からないかもしれないが、これほど重篤なコミュニケーション障害、専門家たちでさえ対処に途方にくれるような重篤な障害が、「親子関係のもつれ」から生じるのだとすれば、親も子も、まるで「アウトロー」のようなものだということになりはしないか。
 しかも、この神話は、一般の人々のみならず、作家や学者や知識人などと呼ばれている人々の間でも立派に通用しているのである。
 昨年の夏、歯医者の待合室で、自閉症とはなんの関係もないのに『カジュアルな自閉症』(注3)というタイトルが付けられた書物を偶然見つけた時には、ただただ唖然とするだけだった。これだけ無知が横行しているのだから、当然のなりゆきかもしれないと 思ったが、いくらなんでもひどすぎる。この著者については、何も知らないし、ちらりと覗いたかぎりでは、どうこういうほどのこともないエッセイの寄せ集めのようなものにすぎなかった。ただ、いろいろ癇に触るような事が続いていて、文章を書こうかどうか迷っていた時だったので、これを見て決心がついた。
 以下において、自閉症の神話という観点から、上野千鶴子著『マザコン少年の末路』( 注4)、上野千鶴子他著『《マザコン少年の末路》の記述をめぐって』(注5)、山田宏一著『トリュフォー ある映画的人生』( 初版)(注6)、吉本隆明、芹沢俊介共著『対幻想』(平成版)(注7)という四冊の書物の自閉症を論じた部分を見ていくことになる。だが、これらの書物を読んでいる内に、自閉症の神話は、単に自閉症だけの問題ではないという事に、あらためて気づいた。自閉症の神話の背景には、障害者の神話が隠れているのである。ここで障害者の神話というのは、次に挙げる文章が語っているものである。
 「いつの時代にも、障害児の母親は、涙を流してきた。おとぎ話の語る母親たちは、絶望のあまり、障害児と〈取り替えられてしまった〉実の子を探しにいく。しかし、〈障害〉児を生んだ母親を、世間はいつも非難してきた。〈火のないところに煙は立たず〉というわけである。そこで、やれご先祖様に罪を犯したのがいただとか、両親の過去に過失があったからだとかということになってしまうである。それから、あの目配せ・・・」。(注8)
 この文章は、主に自閉症児を念頭に置いて書かれたものである。しかし、幼い障害児についてこうした神話が存在するのは、洋の東西を問わないようだ。身体障害児については、こうした神話も少しは力を失いつつはあるようだが、近頃では、広い意味では自閉症児も含まれる、知的障害と言われている子ども( 数年前までは一般に精神障害児と言われていた) のいる家庭にとっては、いまだに陰に陽に悩まされ続けている神話なのである。そして、意識するしないにかかわらず、この神話が、障害者たちを排除し、社会の外へ追放するのに、大きな役割を演じていると思われる。
 以下の論述は、自閉症についていくばくかの知識もつ者の発言でもあるが、また同時に、自閉症児の父親としての発言でもある。

T

 上野千鶴子著『マザコン少年の末路』( 以下『マザコン少年』と略記) には、次のような文章がある。

 「・・・現在起きている子どもの問題は、むしろ母親の過干渉、過保護によって引き起こされる、母子密着の病理の方がはるかに深刻なんですね。いろんなケースがありますが、子どもの自閉症っていうのがあります。これはほったらかしにしたからできたのかというと、そんなことはないんです。子どもの言葉がでない。小さい時にはわからないんです。普通なら一歳ぐらいから何かしゃべり始め、二、三歳までには言語の形成があるんですが、その時期になって初めて、おかしいな、近所の子はみんなしゃべつてるのにうちの子だけ言葉が出ない、どうしてかしら、と思う。そのころに初めて、息子が自閉症だってことがわかるんですね。じゃあ何で言葉が出てこないかっていうことを考えてみると、母親が子どもに、はしためのごとく侍っているケースが多いですね。」( p.56 )。
 「自閉症の子と登校拒否の子と比べると、自閉症は二、三歳のころですが、登校拒否は小学生ぐらいからです」( p.58 )。

 自閉症児と不登校児とを同種のカテゴリーに属するかのように論じたこのブックレットは、河合塾の予備校生相手になされた講演が基になってできあがったものである。1986年に刊行されたらしいが、以来1993年の始め、「高槻自閉症児親の会」の関係者が上記の記述に対して抗議するまで、二万部も売れていたそうである。著者の上野千鶴子、 編集者、さらには、二万人以上の読者の多くもまた、筆者の先に述べた自閉症の原因を母親に帰する神話の呪縛の中にいたということだろう。全体を読めばただちに分かることだが、「母子密着の病理」というキーワードのみを論拠にして、「マザコン少年」、自閉症、不登校、家庭内暴力までもなで斬りにしようとする推論もきわめて粗雑で、もともとは予備校生相手の講演とはいえ、良識を備えた大人の読物ではない。抗議を受けるような要素がいたるところ含まれていて、著者の人間認識の甘さを如実に示している 。このことは、抗議後書かれた「〈マザコン少年の末路〉の末路」で、著者自身認めているところである。巧みなのは、漫談家の如き話術のみである。
 出版されたのは、1985年とはいえ、「母親の過干渉、過保護」で自閉症を説明するのは、無知もはなはだしいことで、抗議は当初この点に向けられた。当然の事だと言えよう。そもそも、レオ・カナーが、「早期幼児自閉症」を発見したのは1943年のであり、 その時以来、自閉症解釈には長い歴史がある。それも知らずに、「マスメディアの論調」に「からめとられ」ていたにしても、あまりにもお粗末で学者のやることとは思えない。抗議後やっと、まだまだ謎が多いにせよ日本の学会が「脳の器質障害」という点では一致していることは認めながら、まだあれこれ逃げ口上をいっているのは、見苦しいかぎりである。「末路」における、上野千鶴子の原因論を検討する前に、自閉症の行動から見た診断基準を、次に挙げておこう。『マザコン少年』を見るかぎりでは、自閉症神話に依存したまま、発言が行われているからである。神話にもとづくだけでは、自閉症児の実像が見えてくるわけがない。それにおそらく、自閉症児に会うことはもちろん、話をすることすらなくなく、勝手な発言がなされているのは、本稿で論ずる三人の著者に共通するところと思えるからでもある。これは、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計の手引き』( DSM V-R )( 注8)からの引用だが、理解の便を考えて、各項目のあとの丸括弧の中に、正確に対応してはいないが、ウィングとグールドの三つ組み(注9)も、つけ加えておく。

  (1) 相互的対人関係の質的欠陥( 対人関係の重度の障害。特に同年齢の子供との相互的やりとり関係がないという明確な特徴をもつ) 。
  (2) 言語・非言語コミュニケーション・想像的活動の質的欠陥( 言語および非言語の両面にわたるコミュニケーション障害) 。
  (3) 活動や興味の範囲の著しい狭まり( ごっこ遊びなどの想像的活動を楽しまず、代わりに反復的行動をすること) 。

 ちなみにWHO(世界保健機構) の定義( ICD-10 )も、ほぼこれに準ずるものである。なお、DSM V-R の二つ目までの項目は「質的欠陥」という言葉で終わっていることに留意してもらいたい。自閉症児たちの行動が、いかに常軌を逸しているかを示すための言葉だからである。これを読んで自閉症児の姿が浮かんでくるとも思えないし、もう一つ引用を付け加えても大して効果があるとも思えないが、上記の診断基準のみではあまりにも漠然としすぎているので、屋上に屋を重ねることにする。

 「自閉症児は、〈自己の殻〉に閉じこもっているように見える。自閉症児は耳が聞こえないわけではないが、聞こえていないような様子をしている。自閉症児は、目が見えないわけではないが、見えていないような様子をしている。自閉症児は、自らの 感情を表現する事にも、他者の感情を理解することにも、大変な困難を感じている。こうしたコミュニケーションの障害は、常に言葉──混乱していたり、時にはまったく言葉のない事もある──に、影響を及ぼす。要するに、この子たちの行動は奇妙なのである。さまざまな物は、それらの物の用途に合わせて扱われることはないし、さまざまな身振りは際限なく繰り返されるといった具合である。そうした事をやめさせようとでもしようものなら、引きこもりや怒りを誘発してしまう。注意の向け方、情動、体の姿勢はまことに多様だが、それらは、不安定で変化しやすい場合もあれば、いつまでも果てし無く続く場合もある」( 注11) 。
 診断基準については、これくらいにしておく事にして、『〈マザコン少年の末路〉の記述をめぐって』( 以下『記述』と略記) 収められている「〈マザコン少年の末路〉の末路」( 以下「末路」と略記) における上野千鶴子の原因論をみることにしたい。いちおう安易な発言をした事を謝罪した上で、次のような釈明をしている。

 「〈自閉症〉が〈母子関係〉に起因するかどうかについては、十分な証明はありません。他方、〈自閉症〉が〈器質性〉の疾患であるという説も、十分に証明されているとはいえません。〈自閉症〉は今日にいたるまで、まだ原因のじゅうぶんにわからない疾患です」( 『記述』p.17) 。

 ここでの、〈母子関係〉に起因するという「心因説」については、「器質性」との対比で言うのなら、「十分な証明はありません」という言い方自体がおかしい。心因説は、主として精神分析という、そもそもが仮説のかたまりのような心理学的立場から出たものであり、この説に、科学的な実証性に基づく証明を求めることは無理である。この点については、やがて吉本隆明他著『対幻想』について論じる際に、立ち戻ることにして、ここでは、次の文章を引用するだけにしておく。

 「かつてカナーやそのほかの人々は、自閉症は単一病因による疾患過程であると信じていた。その根源は親の病理にさかのぼれるであろうと、多くの人々が考えていた( Bettlheim, 1967 ) 、今日広く受け入れられている考えは、自閉症はおそらく多重  要因に規定されているということである。さらに次のことも認められている。すなわち、自閉症児の親の子育てパターンは、〈健常〉な子どもの親のそれに比べて、障害児を育てるというストレスが加わることを除けば、特段に隔たりがあるわけではない  ( Cantwell & Baker, 1984 )」( 注12) 。

 「脳障害説」の方は、「十分に証明されていない」のは確かだとしても、こちらは、事実を基にした実証的な仮説であり、かなりの説得力をもつ。従って、「器質説」に関しては、どの書物に依拠するにせよ、細部はともかく、しっかりとした傍証として挙げられている証拠に変化はない。念のため、ウタ・フリスの Autism, Explaining the En igma によりつつ、簡単に見ておくことにする。
 まず第一は、自閉症と診断された人たちの内、ほぼ四分の三に精神遅滞がともなっている。「精神遅滞は、生物学的原因による脳障害を示唆する確かな証拠のひとつ」なのである。さらに「思春期になると自閉症の人のおよそ三分の一に、てんかんの発作が一見したところ突発的に起きる」。そして「男子の高発症率」も、上野の言う「母子密着の病理」の例証などではない。最近の研究では、「能力の高い群では五対一、低い群では三対一」くらいの比率になるそうで、男女を比較すると平均的には、女児に非言語的 IQ( 知能指数) などの点では、重い障害が見られるが、遊びや感情の面、つまり人間関係の能力という点では、男女とも障害の度合いは同程度である。そして、この比率については、さまざまな研究が試みられたが、「すべての研究で常に男児が超過することや、中・高程度の能力レベルでは、女児数が特に少ないことなどは」、自閉症の生物学的原因の有力な証拠となっているのである。
 これらは、かなり以前から知られている「脳障害説」の背景だが、その他、神経生物学的研究や精神生理学的研究など、数多くの研究が、もろもろの感覚情報を処理する機能中枢に異常を惹き起こしているとする「脳障害説」を強く推測させる材料を数多くもたらしているのである。( 注13)
 そして、自閉症という現象を生じさせるのが「脳障害」であれば、よくは分かっていないとしても、そうした「脳障害」を生じさせる原因は、母体内でのさまざまなきっかけで生じているであろう脳の発育不全や、自閉症では、頻度が「著しく高い」「出産周辺期の障害」などであろう。
 だが、脳障害が、自閉症児の知覚入力系に異常を生じさせていて、その結果運動出力系にも異常を生じさせているという上記のフリスの「認知心理学」からする仮説は、「心因説」の仮説より、はるかに説得的だし、筆者などから見れば「奇跡」としか思えないほど回復した自閉症児たちの書いた自伝も、その事の立派な裏付けとなっているのである( 注15) 。
 以上、「心因説」と「脳障害説」を、上野のやり方に対して、筆者なりにまとめなおしてみたが、上野の自閉症への問題発言には、もう一つの側面がある。

U


 フェミニズム問題については直接的に触れるつもりはないが、「抗議」でも述べられているように、フェミニズムの推進者である上野なら、当然考えるべき事柄に十分配慮が及んでいなかったというのが、もう一つの側面という言葉で言おうとしている事である。つまり、フェミニズムというものが、女性の「人間としての権利」を擁護する事を主要目標とするものだとすれば、障害者サイドにいる人たちは、障害者という「人間の権利」を擁護することを主要目標としている。したがって、「人間の権利」の擁護という点では、全く共通の目標をもっている事になるはずである。両者の要求は、基本的なところでは、本来一致していてしかるべきである。
 ところが、上野は、「親の会」や関係者たちと、二度にわたって話し合いの機会をもち、どうやら、理屈の上では一応納得したらしいが、決して障害者サイドに歩みよろうとはしなかった。そもそも、フェミニズムうんぬんを言うのなら、最初から障害者問題がしっかり視野に入っていなければおかしい。障害者サイドの人たちは、当然視野に入っているものと思いこんでいたから、話は通じやすいという期待があったようだが、この期待は見事に裏切られた。上野自身は、「〈親の会〉の方たちのご指摘は、私の発言についての再検討を私自身に迫りました。そして私に大きな反省をもたらした」( 「記述』、p.25) と言ってはいるが、本当に「反省」しているのなら、話し合いの間に「「親の会」のサイドから「自閉症のことをよりよく理解してもらえるよう、上野さんから言って頂けるかと期待したけど、もう何も言ってもらわない方がいいです」との発言に、上野が「〈そうなんです。その通りです〉とか言われ」たために、「空漠とした感じ」を抱かれるようなことはなかったろう( 『記述』p65-68 )。
 「反省」しているのなら、つぎのような上野の弁明もなかったろう。

 「ある分野の専門家も、べつな分野に関してはただの素人にすぎません。私はこの分野の専門家ではありませんから、ある学説の真偽を判定する能力はありません。私はひとつの専門家の説をいったんはうのみにするというまちがいをおかしたのですから、私自身に判断のつかないことで、べつな専門家の説を根拠もなく受け入れることは避けたいと思います」( 『記述』p.17-18 )。

 ひとつの説をうのみにして「人間の権利」をおとしめるような発言をしておきながら、こんな口上で逃げきれると思うのは、卑怯未練とでもいうしかない。本当に「反省」をしているのなら、そして本当に「判断のつかない」ことだ思っているとしても、「学会でコンセンサスがのできあがっていたことについては」、「素人」として学会のコンセンサスに同意を与える事くらいはできるはずではないか。話し合いの現場にいたわけではないから、いきさつは正確には分からないとしても、すくなくともそうした同意は、こういう際の「人間」として最低の礼儀ではないか、と筆者は思う。
 先にも述べたようにフェミニズムが「人間の権利」を護る運動の一つなら、当然いちばん底辺にいる障害者、さらにはもう一つ下の底辺に置かれている知的障害者のことを、念頭に置いておくべである。『マザコン少年』の上野には、その事が欠如していた。 そして、話し合いの後の上野にも、同じことを感じる。
 そうした感受性が欠如していれば、フェミナズムうんぬんといっても、単にイデオロギーとしてだけ考えても、まことにお粗末なものにしかなりえないという事は、容易に判断できることではないか。
 『マザコン少年』の講演の企画者、それからブックレットにした際の編集者も、『記述』では、話し合いについて触れていて、こちらはまだしも、上野よりは、誠実だという印象を受けた。しかし、誠実さを疑うわけではないとしても、いずれの文章も優等生の作文という感じであった。企画者の方は、「差別の土壌・構造をこそうつべき」と威勢だけはいいが、打てども打てどもおいそれと変化しないのが「土壌・構造」ではないのか。第一、話し合いの席で、新聞の投書を例にひいて、「女子高校生が電車の中で〈障害〉者から身体をさわられ、やめてくれといってもよけいにさわり続け、周りの人も 知らんふりをしている、といった状況に対し、怒ってもいいのですか?」、という質問したというが、そういう質問をすること自体が、「障害」者を「人間」と思っていない証拠ではないか。今回の事で、まだやっと入口に立っただけではないか。
 この企画者のいうように、だれもが「障害」者問題についてはどうも逃げ腰」なのは確かである。「逃げ腰」が消えたわけでもなさそうだか、「自分の場所で、・・・これからも共闘していきたい」そうである。言葉どおり、はたしていまも「共闘」しているのだろうか。
 たしかに、編集者の言っているように、『マザコン少年』への抗議が、単に月並みな回収、絶版というお座なりな処理に終わらなかったのは、一つの成果ではあった。だが上野においては、「自閉症神話」の解消からも、ほど遠いという感じだったし、企画者 編集者にしても、相変わらず「障害者神話」からなかなか抜け出せまい。抜け出ること はおそらくは不可能だろう、という悲観的な予想を抱いている。ここで言う「障害者神話」とは、単に親うんぬんということだけではなくて、すでに述べたように「障害」者を、「健常」者の社会の外に排除しておくのが当然とする暗黙の了解をも指す。効率を旨とする近代社会が「神話」の上に築いた社会制度のことを言っているのである。そしてこの神話のために、障害者は社会から姿を消すことになる。たしか、企画者が身近に障害者がいないとかといっていたが、実はいるのである。例えば、精神遅滞の人だけでも、人口の一%くらいはいると聞けば( 『精神医学事典』p.455 、弘文堂刊) 、誰もが驚くだろうが、家庭に閉じこもっているか( 閉じこめられているか) 、施設に入れられているから、気づかないだけのことである。「障害」者は外に出るだけでも勇気が必要な社会だということを尋常ではないと思わない人、つまり「障害者神話」の中に居すわっている人が、まさしくこうした事態を生み出している当事者だということが、言いたいのである。

V


 上野千鶴子への抗議は、1993年の始めに行われたが、それから数カ月後筆者自身も同様の抗議をせざるをえないはめとなった。山田宏一著『トリュフォー ある映画的人生』の初版に含まれていた自閉症についての記述のためである。たまたまトリュフオーの映画『大人は判ってくれない』(1959 年) と『突然炎のごとく』(1962 年) とを見直す機会があり、ついでに他のも見てみようと思っていた時、かつての知人山田の著書の存在を知り、読んでみることにした。映画評論家というのは、相変わらず半分ゴシップ屋のようなことをやっているんだなという感想を抱きながら途中まで来て(p.128)、跳び上がることになった。もうすでに絶版になっていた心因説の主唱者ベッテルハイム著『自閉症・うつろな砦』からの引用があり、やはり「心因説」が支持されていたからである。
 出版元の平凡社と半年あまり、手紙の応酬をすることになった。もちろん、こんな事をやるのは初めてで、ともかく相手は最初の内はひたすら低姿勢なのは、上野の場合と同様だつたが、ただ回収・絶版では芸がなさすぎるから、本当に謝罪の気持ちがあるのなら、啓蒙の意味で自閉症関係の書物の出版を考えてもらえないかという提案をした。もちろん費用もかかる事だし、無理強いをするつもりもなく、露骨な言い方はしなかったが、出版社としてなんとか採算のとれそうなものを検討してほしいというという意味での提案のつもりだった。ところが、検討すること自体も拒否された。しかたがないから、著者に謝罪文を書くよう要求して、手紙を打ち切った。著者は謝罪文を書くと言っていたはずだが、本当に書いたかどうかは知らない。
 『マザコン少年』のところで述べた「障害者神話」に類するものに突き当たり、「神話」からは決して外れることなく、まずは適当な返事を書いておけばいいという態度に我慢がならなくなってきたので、手をひくことにしたからである。
 その後、著者から、双方のやり取りをある映画雑誌で公表したいという手紙が来たが、当方の了解も取らず、すでにその出版社に手紙のコピーを渡した後で了解を求めるという乱暴なやり方で、おまけに注釈は一切つけないという、身勝手な注文までついていた。相手の平凡社は後あとの事まで考え、手紙はいちいち役員会を通した上で発送していたらしいのに、当方はほとんど用心らしい用心もせずに書いている。それを、注釈なしでとは、まったく卑怯なやり方である。平凡社の編集部が書いた手紙が公表されるのだから、当然平凡社も了承ずみのはずで、「バカ」でないかぎりこれまた当然の事ながら「ペテン」だろうと思うのが当たり前である。
 腹立たしさが先に立ってしまった。これからが本論である。山田の著書で知らされたことだが、トリュフォーは、ほぼ『大人は判ってくれない』に描かれたような、不幸な少年時代を送ったらしい。いわばトリュフォーは、「自閉症の神話」を裏打ちするような体験を自らもっていた事になるわけだが、さらにその裏付けをする役割を果たしたのが、上記のベッテルハイムの著書にある「心因説」である。
 「ベッテルハイムの『自閉症 うつろな砦』には母親に見捨てられたジョーイという自閉症児の症例があるが、その〈生活史〉がトリュフォーの『恋愛日記』の脚本の土台となった。産院でジョーイが生まれたあと、母親は赤ん坊を見たがらず、乳もやりたがらなかった。〈このようにして、彼はこの世に迎えられたとき、愛を注がれもせず、忌避もされず、さりとて愛情のない混ざった両価生で迎えられもしなかった。 (  ・・・) 彼はあっさりと、そして完全に無視されたのである〉」( 『トリュフォー』 初版、p.128 )
 「フランソワ・トリュフォーには両親が、実父母が、そろっていたが、〈何か言えばかならず返事をしてくれる〉母親でも父親でもなく、それどころか、一人息子をどうしようもない不良少年として少年鑑別所に送ってしまったのである。自分は両親(とくに母親) に望まれて生まれてきた子ではないのだ。だから遺棄された子なのだとコンプレックスにさいなまれつづけてきた十六歳の少年がこうして完全に親に見捨てられあやうく狂気に走りそうになったのをおさえることができたのは、映画のおかげだった」( 同上、p.135 ) 。

 山田によれば、「自閉症」は「狂気」なみのものだという事になろう。そして、「遺棄された子なのだと」いう「コンプレックス」から少しでも解放されようと、トリュフオーは、「愛と教育が同義語になる」という事をテーマとした、アヴェロンの野性児に 根気よく教育を施すイタール博士の姿を描いた映画を撮る。1798年アヴェロンの森で捕らえられたこの野性児は、今では、専門家たちの間では、自閉症児だということで意見が一致している。そして、トリュフオーも『野性の少年』(1970 年) を撮る時、その事を知っていて、自閉症児たちのいる施設で研究したらしいのに、映画の中に描き出されたアヴェロンの野性児は、ベッテルハイムの解釈に則った自閉症の解釈と同じようにピントがはずれていて、あまり自閉症児らしくみえないのは、どういうことだろう( 注16) 。目の人であるはずの映画作家が、細部はともかくどうして自閉症児のあれほど特徴的な 姿を捕らえそこなったのだろう。そのことが不思議である。偏見が目をくもらせてしまったのかもしれない。ちなみに、『自閉症・うつろな砦』の仏訳が刊行されたのは、この映画が発表される前年、1969年のことである。
 自閉症解釈の移り変わりを、次の文章を借りて見ておくことにする。

 「自閉症が発見された当時のアメリカの精神医学は、子どもの精神障害をすべて精神分析的に理解しようとしていた。子どもの情緒や行動に異常があれば、それはより早い時期の養育環境に子どもをそのような状態においこむ問題が必ずあるはずだと考えられており、その原因は親の態度や性格に求められていた。このために、不幸なことに、〈自閉〉は心因に対する防衛であり、その原因は家族関係、とりわけ母親のパーソナリティーに求められるはずだとする神話がうまれた」。( 注17)

 そして、子どもに何らかの障害があれば、親に、特に母親に責任があるのだとしてしまうすでに述べた神話に見事に合致した、上記の主として精神分析による「自閉症神話」ができあがるのだが、ベッテルハイムは、『自閉症・うつろな砦』によって、まさにこの神話を完成させた人物なのである。

 「1960年代頃より、精神分析的な考え方について、精神医学の中で実証的な方向での見直しが生まれてきた。1970年代に入ると自閉症についての研究はいっそうすすみ、多面的となった。この研究の成果と治療の積み重ねによつて、自閉症は、心因性の障害でないことがますますはっきりとし、また、分裂病の早期発症型であるとする主張も根拠のないことが示されるようになった。ここに、自閉症に対する神話が崩壊することになった」( 注18) 。

 英米および日本における学説の推移という点では、ほぼ上記の通りであろう。だが、専門家以外の人たちの間では、「自閉症神話」がそう簡単には崩壊してくれていないので、本稿を書かざるをえないはめとなっている。
 日本語訳のベッテルハイムは、ほぼ1987年頃絶版になつたようである。その頃から、書店で見かけなくなったからである。筆者自身、ブローネ夫妻の『自閉症児と生きる』を翻訳して、1973年のベッテルハイムの渡仏が、フランスにどれほどの混乱を引きおこしたかを紹介したりした事も、絶版となる原因の一つだつたかもしれないが、日本では、もうその時には、脳障害説が主流となっていたのである。

 山田宏一の『トリュフォー』に戻ると、1994年に増補新訂版が、やはり平凡社から出版された。勉強のやり直しをして、もっとすっきりした形になっているのかと期待していたが、当該箇所を調べてみると、自閉症という言葉は完全に消え、もちろんベッテルハイムの名前も消えていた。筆者としては、「言葉狩り」などしたつもりはなかったが、結果的にはそんな形になっただけである。
 少なくとも、山田に従えば、自閉症問題はトリュフォー自身にとっても、『トリュフォー』にとっても、きわめて重要な、中心的課題だったはずである。ところが、上にも述べたように、問題を回避しただけで、トリュフオーの解釈を改めて解釈しなおそうといったことは、試みられてもいない。いったい著者は読者に対する責任をどう考えているのかと、問いたくなるだけである。

W


 吉本隆明と芹沢俊介著『対幻想』なる対談形式の書物があるということを、筆者は知らなかった。これを「ついげんそう」と読むことすら、知らなかった。こんな書物のことは知りたくもなかったが、わざわざ知らせてきた人物がいたのである。昨年の春頃ではなかったかと思う。上野千鶴子が、この書物の自閉症を論じた部分と、『ちくま』(No.286 とNo.289) に掲載された吉本隆明著「心について」( 上、下) とのコピーを、河合文化研究所に送ったらしい。さらにそこから「親の会」の関係者の所へおくられ、さらにはわが家にも届くということになったようである。
 おかげで、吉本のなんの根拠もない独断的な解釈を読まされることになった。こんな解釈を読まされれば、当然一言言いたくなってくる。言いたくはなるのだが、現在日本のみならず、おおかたの国々で、自閉症について常識となっている事実すら知らずに、勝手なことばかり言っているので、どう整理したものか迷うのだが、ともかく、まず吉本の「ホラ話」を引用してみることから始めたい。

 「上野さんの特徴はリイセンコ学説なんですよ。つまり人間は環境よくそだてれば自閉症にならないとおもっている。あれはマルクス主義の一番悪いところです。ぼくはそうじゃないとおもう。もしおなじような問題があるとすれば、それはやっぱり乳幼児期で母親との関係がうまくなかった。だからそれは細胞の問題じゃない。母親の責任ですよということが入ってくる余地があります。もう一方、文句をつけている母親たちは、自閉症は器質的障害だと学会で決まっているようなことを言っています。そんな馬鹿なことは絶対ありえないです。つまり細胞の次元まで精神とか振る舞いの異常とか解明できたらそれは言えるけど、そんなことが解明できていないのに器質的障害だって言えるのか。ああいうことを言うやつらのほうがおかしいんですよ」(『対幻想』p.50 )。

 母親に責任があるような事を言っているが、先に引用したショプラーの文章にあるように、「自閉症児の親の子育てパターンは、〈健常な〉子どもの親のそれに比べて、障害児を育てるというストレスが加わるということを除けば、特段に隔たりがあるわけではない」のである。吉本は、どうやら「自閉症神話」を残しておきたいらしい。もちろん自閉症児の親にも当然いろんな人がいるが、誰にとっても共通なのは、自閉症児の奇妙な行動に対し、普通の子育てをやれば、もうそれだけで悪い「条件づけ」を作り上げてしまう事だろう。だから、「自閉的傾向あり」とか、「自閉症」とかという診断が下る以前には、どの親も「悪い親」だったことになる。だが、それ以外にどんなやり方があるというのか。もちろんここでは、誕生以降、「自閉症」と判明する時期までのことを言っているのである。吉本は胎生期、周産期の重要性をしきりと強調し、その時期に 親に過失があったかのような言い方をしきりとする(おそらくベッテルハイムの影響である)。だが誰だって、その時期の重要性は知っている。自閉症児の親たちだって例外ではない。だからショプラーの文章のような結果が示されるのである。吉本によれば、それ以後の「育て方がどうだっていうところでは、何もない」との事である(おそらくドナ・ウィリアムズの自伝が根拠なのだろうが、ドナは例外だという事は、後で述べる)。だが、自閉症児の教育は、普通の子以上に重要なのは、関係者にとっては自明のことである。それが、治療の大きな部分をなすからである。精神分析関係の本しか読んでいないから、こういう無知をさらけだすことになるのである。
 それに、吉本が「そんな馬鹿なことは絶対ありえない」と言う器質的障害が、一応仮説としてであれ、学会の主流であることは、確かだろう。先に挙げたように神経病理学、生化学などさまざまな分野で異常が発見されている事は、上野を扱った所で述べたとおりである。さらに、心理学的なやり方では、ウェクスラー知能検査(WISC) で自閉症児のさまざまな能力を調べてみれば、同程度の精神年齢の健常児や精神遅滞児とは、明らかに異なった知能のパターンが認められるので、認知機能の不全、特に「中枢での統合能力」の不全を推測したりもできるのである。日本の代表的な精神医学事典で、自閉症の項目を見てみることにしたい。

 「現在では、中枢神経機能の成熟の遅れによるもので、3 歳までに症状がみられ、広い範囲に及ぶ歪んだ(アンバランスな)発達の遅れであるとされている。アメリカ精神医学会のDSM Vでは、広汎性発達障害( Pervasive Developmental Disorder ,PDD ) と分類されている。脳機能の障害または成熟の遅れが主要な原因と考えられているが、障害の性質( 感染症、外傷、血管障害、代謝異常、遺伝子の異常など) 、部位、程度については未だに不明である。発現率は10,000人に15-18 人で、男女比は3-4:1 である。年齢によって症状の現れ方が異なり、最も特徴的な症状は、3 歳から6 歳頃にみられる。表情に乏しく、視線を合わせようとはせず、他の子どもに無関心で遊びの輪に入れず、睡眠のリズムが不規則で、極度の偏食や奇妙なこだわりがみられる。パターン化したものの記憶は得意だが、場面に合った行動をすることができず、カンシャクを起こしやすく、早口で単調にしゃべる。光や音に過敏で、名前を呼んでも反応せず、話しことばの発達が遅れている。奇妙な仕草( 例えば耳を塞いだり、手をヒラヒラさせたり、クルクル回るなど) を頻発し、自傷行為( 頭や顎を叩く、手を噛むなど) がみられる。年長児・青年期になると、さまざまな反応( 神経症的反応、精神病様反応) を惹き起こすことがある。( 『新版・精神医学事典』、「早期幼児自閉症」、p.49 5-496 、弘文堂刊) 。

 この引用文では、「中枢神経機能の障害」とか「脳の機能または成熟の遅れ」という無難な表現を取り、「障害の性質、部位、程度は不明」としてはいるが、明らかに脳の器質的障害が想定されている。もちろん「決め手」がないので、いろいろとくすぶりは 残っているにしても、公式的には「心因説」が否定されているのは確かである。脳そのものの研究も行われているのは、言うまでもない。次に希望的観測を引用しておく。「臨床的にも、MRI で自閉症の大脳に種々の異常が認められることは、重要なことである 。ことにCTスキャンでは捉えられない異常がMRI で捉えられる可能性もある。日常の臨床上、その改良と普及がすすめば、MRI は自閉症に対する脳の形態学的な研究と臨床の中心的役割を果たすことになるかもしれない」。( 注19)
 自閉症の解釈に関しては、日本は、アングロサクソン系の国々とほぼ足並みを揃えてきた(そしてこれが世界の大勢であることは、ICD-10からも明らかである) ようだが、とことん心因説でいこうとして、躓いた国がある。フランスである。昔のアメリカのように精神分析が流行していたところへ、心因説の親玉のベッテルハイムが乗りこんで、心因説に勢いをつけてしまったのである。吉本も芹沢も、先述のように日本ではすでに絶版になっているベッテルハイムだけは読んでいるらしい。吉本は「精神分析療法の人たちもそう(=心因説、筆者注) だから、そういう意味ではちゃんととりあげなければいけない」と言っているし、芹沢も、ベツテルハイムが「強制収容所体験」を引いている事を、挙げている。確かに、精神分析を無視はできないにしても、こと自閉症に関しては、精神分析は、フランスでも見事に敗退しつつある。だが、そのことを言う前に、強制収容所うんぬんについては、ブローネ夫妻( フランスで最も古くから自閉症の治療に当たってこられたベテランである) が何冊かの書物で、反論しているという事を言っておこう。( 注20) ブローネ夫妻は、スペイン市民戦争では難民の孤児たちの救済に尽力し、第2次世界大戦でも、難民の孤児たちや強制収容所にいた子どもたちの救済や支援に力を尽くされた。彼らの経験によれば、親を失い死と直面した子どもたちの内、一人として自閉症児はいなかったとの事である。その子たちの内には、情緒障害を起こしている子どもたちもいたが、きちんと相手をし治療を施せば、言葉のなかった子どもたちも 、言葉を取り戻し、情緒的には不安定なところを残していても、だれもが社会に溶けこめるようになったとの事である。( 注21) 夫妻は、その経験をベツテルハイムの経験にぶつけて、ベッテルハイムへの反論の一つとしていた。
 それでは上に述べたように、主流派が精神分析の信奉者たちで占められていたフランスに、話を戻すことにする。フランスでは、1967年に発表されたベッテルハイムの理論を修正しながら使ってきたらしい(ベッテルハイムはもう古すぎるのである)( 注22) 。
 1973年、ベッテルハイムが、フランスのテレビに出演する事なった時、その番組を放映するテレビ局以外のテレビ局はストをしていて、ベッテルハイムの番組がすべてのチャンネルから流れることになり、自閉症関係者の間に大混乱が生じたということは、知っていた。しかも、治癒率85%( 治癒率がこんなに良ければ、親も治療者も苦労はしない) だと言ったそうなので、子どもが一向に良くならないのに業を煮やしてした親たちは血相をかえ、専門家たちの間では大論争になったということも、知っていた。もちろん、この治癒率は、ベツテルハイムが、自閉的な情緒障害児まで、自閉症児だと勝手に解釈して、はじきだした数字である。自閉症に関してはまだ混乱期だつたのである( 注23) 。
 筆者は混乱だけで終わり、フランスでは相変わらず心因説と脳障害説の争いが続いているのだとばかり思っていたが、続きがあったのである。ベッテルハイムの渡仏がきっかけとなり、自閉症の脳障害説はだいぶ影が薄くなったらしい。学会での、こういった親の発言がある。

 「近頃では、自閉症児の親たちは、次第に精神分析療法を拒否するようになってきています。といいますのも、立派な意図とは裏腹に、精神分析療法は無力だということが、明らかになってきているからです。単に治療面でだめだというだけではなく、納得のいくほど子どもを進歩させることもできないからです。両親たちは、残念ながら、分析的心理療法がモロン教授のような方のおっしゃるほど、子どもに明白なプラスの効果をもたらしているなどという事を、確認してはいません。それどころか、両親たちが、この療法の効果だと見なしているのは、重い精神遅滞によるいくつかの不全を進行させること、後日の社会的統合を子どもから奪ってしまうさまざまな行動を助長させる事、次第に不安を高める事、最初の障害を悪化させてしまういくつもの精神病を根づかせてしまう事などですが、フランスにおける自閉症の世界では、障害と病気とを混同させてしまうことがまかりとおっているという事も、付け加えておかねばなりません。
 両親たちは、精神療法そのものが、子どもたちにとって有害だとまでは思っていません。しかし、両親たちの見るところでは、他の面でのさまざまな必要性が無視されるために、深刻な結果を招いています。子どもが生活環境に溶けこめるようにしうるもっとも基本的な経験をさせていないし、「生活のルール」を守りたいという欲望を発達させることもしていないということです。
 両親たちにとって明らかだと思えるのは、治療という目標へ向けての努力も、治療に先立つか治療と同時に行われるしっかりとした教育ぬきでは、失敗するにきまっているという事です。実際のところ、経験したこともない精神的データを、子どもは、どうやってしかるべき位置に置き戻せるというのでしょうか。子どもが欲望を感じ、選択を行うことができるようになるだけの経験を積んでいなければ、いくら欲望の出現を待っていたって、何の役にも立ちません。
 その上、科学的というより独断的な展開をしている分析的心理療法は、多少の差はあれはっきりとした形で、家族に原因を求めます。より正確には、子どもとの情緒的関係が不全な母親が原因だと仮定しています。真に科学な根拠のないこの仮説を受け入れる事は、自閉症という症例にあっては、軽率きわまりないし、両親の精神的バランスに危機をもたらす上、子どもにとっても有害です。事実、多くの場合、この仮説は、子どもの欠陥や欠陥のために生じているかもしれない代償作用をチェックしようとする医学的検査を省略させることになりますし、両親とさまざまな分野の専門家たちとの真に有効な協力関係を断つことにもなります。ベッテルハイムの渡仏以後、フランスで普及している「親の愛情不足による情動不全(= carence affective )」と自閉症との混同は、由々しい問題です。これは、まさしく医の倫理の問題なのです」( 注23) 。

 これは、1989年に自閉症の学会の記録が書物になったものからの引用だが、このフランスの両親たちの代表の意見からも分かるように、親たちは少なくとも15年以上にわたって悪者にされ続けていたのである。子どもの状態が良くなってさえいれば、たいていの親なら自分が悪者にされても、文句は言わない。ところが、いくら待っても良くならない上、英米や北欧や日本などで主流である行動主義的心理療法の方が、いわゆる「治療教育」の方が、どうやらより一層の効果を上げているらしいと知って、堪忍袋の緒が切れたという事だろう。自閉症はなまやさしい障害ではない。子どもの状態をありのままに受け入れ、子どもに「普通の世界」になじんで貰おうとすれば、親のみならず家族全員の心身いずれものすべてのエネルギーが奪われかねないほど重篤な障害なのである。しかも、親が悪者にされ続けていれは、離婚した夫婦も多かったろうし、家庭崩壊さえ生じた家族も多かっただろうと、思うとぞっとする。あくまで仮説だという歯止めがしっかり掛かっていなかったのである。これでは、犯罪同然ではないか。精神分析は、自閉症に関しては、シラクの核実験なみの事をやっていたわけである。精神分析は所詮仮説にすぎないのだと言おうとして、昔小林秀雄は、たしか「病気が治せればいい」という意味の事を書き残したはずだが、フランスでの場合は、まったく逆で、治せないにもかかわらず、頑強に仮説を押しつけ続けようとし、いまだになんとか取り繕おうとしているようだが、もう誰も信じないだろう。
 親たちの抗議は、それ以前からもつづけられていたろうが、学会での発表まで行ったのは、これが最初ではないだろうか。どうやら、1980年代の後半くらいから、この国では、今更精神分析の看板を下ろすわけにはいかず、看板だけは出しておいて、たいていは「学際的」研究とかということを、しきりに言うようになってきている。要するに、かなり出そろってきた科学的データや疫学的データを無視するわけにはいかなくなったという事であり、近頃では急速に態度を変化させ、統合教育とか、成人後の社会的処遇のこともやっとの事で問題となりつつあるようである。( 注24)
 吉本の発言に戻る。吉本は、ドナ・ウィリアムズの『自閉症だつたわたしへ』を読んで、こんな事をいっている。

 「ドナという人が言っていることは、じぶんは二つの仮の人格をつくったというんです。一人はキャラクターを演じるウィリーという仮面の人物、もう一人はコミュニケーションのできるキャロルという人物。この二つの人物をじぶんの中につくった。それで治ったという意味は、世界の中心としての自分からふつうの人たちが住んでいる世界の中にいるじぶんへ、感覚と認識を変えることができたことをじぶんは治ったというというんだって言ってます」(p.103) 。

 このドナにしても、やはり自伝を書いたテンプル・グランディンにしても、いわゆる「高機能群」に属する人たち、つまり5 歳以前から言葉があり、精神遅滞の見られないない人たちの内でも、ずばぬけて知能の高い人たちだろう。言わば例外なのである。例外のみに基づく吉本の解釈によれば、引用文にあるような事を「自覚」して治ったのが、自閉症が治ることだという理屈になる。そして先に見たように胎生期周産期の「心的外傷」や「自己防衛」のみが問題で、以後の教育などどうでもいった放言まで出ている。だが、われわれの周囲にいる自閉症児たちの治療教育は、ドナの場合のように順調にはいかない。一般的には、治療教育を受けても、なんとか周囲の世界とコミュニケーションが取れ、孤立に近い状態でだが、摩擦を起こさずやっていけるようになれば、もうそれだけできわめて成功したケースということになる。平均的な場合には、かろうじてコミュニケーションが取れるが、多くの奇癖は残ったままで、「普通の社会」の中では、飛び抜けて目立つ存在のままだろう。それに、一言の言葉もないままでいる人たちも多いのである。治療でどんな事がおこなわれるかというと、いわばドナが一人で開拓していったのに近いことが、医師やセラピストの指導の下に行われるわけである。障害が あるため「普通の世界」とは違う世界を持つことになってしまっている自閉症児たちを、その子たちの世界を尊重しながら、何とか「普通の世界」にも慣れてもらつて、一緒に生活できるようにしようというのが、いわゆる「治療教育」と言われるものである。
 先に述べたようにテンプルやドナほど良くなる例は、例外中の例外と言っていい程稀である。しかも、言葉が苦手の自閉症の人たちが、自伝まで書いているのだから、なおの事である。日本でも自伝に近いものが書かれ、出版された事もあったが、外面的な事柄のみの記述にとどまり、自閉症の人の内面まで知ることは、二人の書物が出るまでできなかった。
 だからこそ、貴重な書物なのである。治療者や親なら、子どもの奇妙な行動や言葉のの使い方の意味を初めて知らされるという点で、大いに啓蒙されるのだが、吉本は、こんな貴重な書物を、自分に引きつけて、我流に読んでいるだけである。ドナが多重人格的だとなると、吉本はさっそく多重人格と結びつけて論じるといった事をやるのだが、多重人格的な仮面については、すでにドナ自身が、正解に近いと思える結論をだしている。「皮肉なことではあるが、そうした自由は、母がわたしを無視し、拒絶したからこそ生まれたというわけだ。もしその自由がなかったなら、わたしはウィリーという仮面の人物を通して自分の知能を向上させることも、キャロルという人物を通して人とのコミュニケーションの方法を身につけることも、できはしなかったろう」(p.259-261) 。
 ドナのケースでは、絵に描いたような「悪い母親」が、「奇跡」の原動力だつたわけである。
 それにしても、ドナとテンプルの「どちらも器質障害とはいっていないし、マザコンで、母親がかまいすぎたからともいっていない」などという発言まであるが、これではますます本当にきちんと二冊の自伝を読んだのか、疑わしくなってくる。テンプルは、自伝の書き方からも、脳障害説の支持者だとわかるし、本文でもはっきりと述べている(p.69, p.187)。ドナにしても、本文では言葉そのものは使っていないにしても、「終わりに」(p.258) 以降のまとめ方を見ていれば、その事をはっきりと意識しているのが分かる。それに、自分の承認できない脳障害説を、「まえがき」や「序文」で専門家に書いてもらう著者など、いるだろうか。それに、両者とも、精神分析をバカにしている箇所がある( テンプル、p.69-71 。ドナ、p.141-142 。ドナの場合は、対象は明らかにベッテルハイムである) 。
 さらに、「抗議するほうの器質障害というのは、全面的な宿命論になりますから問題にもならない」とのご託宣だが、自閉症に精神遅滞が伴っていようがいまいが、親は、子どものの発達を願い続け、いつまでも努力を止めないものである。「宿命論」などと 気楽な事をいってすませているのは、親たちの努力を知らないからである。
 最後に、精神分裂病と自閉症とを並べて論じるやり方も、いい加減にしてもらいたい( 4.「自閉症、分裂症はどこからくるか」) 。それに、「自閉症はもっと思想的に深い」のだそうである。噴き出したくなる。たしかに、カナーが自閉症を発見した際、分裂病の最早発型ではないかと考えたのは事実だが、自閉症と分裂病を結びつけることには、最終的にはカナー自身否定的だつたし、それ以後はっきり違うという結論が出ている。( 注25)
 以上で、吉本の自閉症についての「ホラ話」は、世間に誤解や偏見を与える単なる「大ボラ」にすぎず、何の根拠もない事を示したつもりである。なお、通読する気も起こらないまま、吉本の代表作の一つらしい『共同幻想論』をあちこち拾い読みしていたら、筆者が本稿で「障害者神話」と呼んできた事柄に、ぴったりと当てはまる文章に出会った。次に掲げておく。

 「現在ではほとんど否定しつくされているが、エンゲルスはよくしられているようにモルガン『古代社会』の見解を理論化しながら、『家族、私有財産及び国家の起源』のなかで原始的な乱交( 集団婚) の時期を想定している。エンゲルスの理論的な根拠は、あらゆるばあい、いいかえれば言語や国家の考察についても露呈されてるように、人間が猿のような高等動物から進化したものだという考えに根ざしている。つまり動物生としての人間をその考察の起源においている。たとえばモルモットを親子兄弟姉妹にわたって同居させれば、雌親は子供の子を生むことができる。おなじように意識性を切除された人間の〈家族〉を同居させれば母親は子供の子を生むことがあり得るだろう。しかし、わたしたちは意識性を切除された人間を、ただ動物としての〈人間〉と呼ぶだけで人間としての〈人間〉とは呼ばないのだ。人間は猿から進化したのでもなければ、人間生の本質は動物生から進化したものではない。いいうべくんば、猿のようなもっとも高等な動物と比較してさえ、人間は異質の系列として存在しているし、そのことによつて人間と呼ばれる本質をもっている」( 注26) 。

 この文章では、例えば自閉症の人も含めた知的障害者は、「意識性を切除された人間」つまり「動物としての〈人間〉」の中に入るのだろうか。それとも「人間としての〈人間〉」の中に入るのだろうか。さらには、「痴呆老人」についても、同じ質問を発しておく。


1. Alquie(F.), La conscience affective, p.9, Vrin, 1979.
2. 村松友視著『百合子さんは何色』、p.13他、筑摩書房、1994 。
3. 泉麻人著『カジュアルな自閉症』、ネスコ発行、文芸春秋社発売。但、どうしたものか手元のメモには刊行年が記されていない。記憶によれば、10年ほど以前だった。 4. 上野千鶴子著『マザコン少年の末路』、河合出版、1986 。
5. 上野千鶴子他著『〈マザコン少年の末路〉の記述をめぐって』、河合出版、1994 。
6. 山田宏一著『トリュフォー ある映画的人生』( 初版) 、平凡社、1991 。
7. 吉本隆明、芹沢俊介共著『対幻想』( 平成版) 、春秋社、1995 。
8. Brauner(A. et F.), L'enfant dereel, p.211, Privat, 1986.
9. Frith(U.), Autism: Explaining the Enigma, p.11, Blackwell, 1989. 邦訳、富田真紀他 訳『自閉症の謎を解きあかす』、p.31 、東京書籍、1991 。
10. ibid., p.57. 邦訳、同上、p.108 。
11. Duche(D.J.), Preface, p.1, in Lelorod(G.) et al., Autisme et troubles du developpement global de l'enfant, Expansion Scientifique Francaise, 1989.
12. Schopler(E.), Foreword, p.x, in Dawson(G.) et al., Autism: Diagnosis & Treatment, The Guilford Press, 1989. 邦訳、野村東助他訳『自閉症、その本態、診断および治療』 p.vi 、日本文化科学社、1994 。
13. Frith(U.), op. cit., p.51-65. 邦訳、前掲書、p.124-145 。
14. ibid., p.69-81. 邦訳、同上、p146-179 。
15. Grandin(T.) & Scariano(M.), Labeld Autism, Arena Press, 1986. 邦訳、カニングハム 久子訳『我、自閉症に生まれて』、学習研究社、1994 。
  ドナ・ウィリアムズ著『自閉症だったわたしへ』、新潮社、1993 。本書の原書(Nobody Nowhere)は、すでに絶版になっていて、見る事ができなかった。なお、最初に邦訳のタイトルを見た時から気になっていた事だが、この題名では、タイトルだけ見た人にとっては、本稿で問題としてきた自閉症神話を助長する恐れがある、と考えられる。一般的には自閉症はいわゆる情緒障害の重い程度のものと考えられているだから、比較的簡単に治せるものだという誤解を与えかねないというのが、筆者の懸念である。
16. Bettelheim(B.), The Empty Fortress: Infantile Autism and the Birth of the Self, The Free press, 1967 . 邦訳、黒丸正四郎他訳『自閉症 うつろな砦』( T、U) 、みすず書房、T- 1973 、U- 1975 。
17. 太田正孝著「自閉症の概念と本態」、p.2 、太田正孝他監修『自閉症治療の到達点』、所収、日本文化科学社、1992 。
18. 同上。
19. 横田圭司著「自閉症の生物学的研究」、p.308 、太田正孝他監修、前掲書所収
20. Brauner( A. et F.), Vivre avec un enfant autistique, p.10-13, P.U.F., 1978. 邦訳、布施佳宏訳『自閉症児と生きる』、p.14-18 、紀伊国屋書店、1987 。
21. Brauner ( A. et F. ), L'enfant dereel, p.203, Privat, 1986.
22. Busztejn(C.), Cinquante ans d'autisme: evolution des concepts, in Aussilloux(C.) et al., L'autisme: cinquante ans apres Kanner, Eres, 1995.
23. Doucet(H.J.), Point de vue d'un parent: Therapie educatives et psychologiques, p.297, in Lelord(G.) et al., op. cit..
24. Levovici et al., Autisme et psychoses de l'enfant, PUF., 1990.
  Aussilloux(C.) et al., L'autisme: cinquante ans apres Kanner, Eres, 1995.
25. 太田正孝著、前掲論文、p.14-15 。 太田正孝他監修、前掲書所収。
26. 吉本隆明著『共同幻想論』、p.175 、 河出書房新社、1968 。

京都外国語大学研究論叢 XLZより


return